2009年01月31日

我が愛する息子と娘へ 3

 『挨拶』でもう一つ大切なことは、『挨拶』には上下がない、と云う事です。部下はしっかり頭を下げて「おはようございます」と挨拶しているのに対して上司が横柄に頭も下げず(息子よ間違ってもこんな人間にはなるな! )「おう」とか「ああ」とか訳の分からぬ間違った日本語で挨拶もどきの挨拶をしています。挨拶の段階でも上下関係を誇示したい・・・その人はその人か?!? まあその辺は論じない事にして、挨拶は誰とでも、どんな時ににでも『心』でしたいものですね。『親しき仲にも礼儀あり』との諺もありますものね。
 ただし、親しき仲には、それなりの親しさゆえの「あいさつ」もありますよね。これはこれでまたまた大切な人と人との関係を楽しく明るくより親しみ深いものにする効果をもたらす「あいさつ」(敢えてひらがなで書く意義を汲み取ってくださいね)もあります。文字にすれば失礼なあるいはぶっきらぼうなあいさつに感じられますがそれはお互いのこころが認め合えるものなので、しかし、この場合にも『心』は大切にしたいものですね。

投稿者 femil928 : 14:22 | コメント (0)

2009年01月30日

我が愛する息子と娘へ 2

 初めに、人として人に愛される人に育って欲しい。そのためには人との出会いを大切にして欲しい。人との出会いで一番大切なのは、そして一番初めに行う事は『挨拶』です。『挨拶』一つでその人の人柄や育ちや教養がわかると云っても過言ではありません。挨拶では、まず初めに誰に対して挨拶するのかをしっかり表示するために、相手の顔をしっかり見つめて挨拶しよう。座っているなら立ち上がり、歩いてまたは走っているなら必ず立ち止まり、その人に向き直って顔を見つめて笑顔で、頭をしっかり下げて、明るく元気よく清々しい声で「はじめまして」とか「こんにちは」とか「おはようございます」と相手に聞こえる声で挨拶しましょう。私は挨拶で形・格好も大切だけど、一番大切なことは『心』だと確信しています。心の無い挨拶は時には儀礼的であったり、冷たさが感じられたりして挨拶が人と人との間に近寄りがたい一線を引いてしまう事があります、これでは挨拶の意義が半減します。『心』を込めれば、自然と笑顔になり、明るくなり、元気になり爽やかな挨拶になり、人との出会いを楽しくさせてくれます。

投稿者 femil928 : 09:20 | コメント (0)

2009年01月29日

我が愛する息子と娘へ 1

 子を持つ親として我が子が幸せになって欲しいと願うのは誰でも同じですよね。でも幸せになって欲しいと云う事を具体的にどうあることなのかと考えたとき、良い仕事に就ければ幸せなのだろうか? お金持ちに成れれば幸せなのだろうか? 素敵なお嫁さんに(お婿さんに)めぐり合えて幸せな家庭に暮らせれば幸せなのだろうか? いやそんな先の事でなく、良い学校に入学してよい成績をとって、良い友達に・良い先生に恵まれて、・・・・いや、もっと現実的に、五体満足で病気もせずに健康で、いつも明るく楽しく生きていてくれれば幸せなのだろうか?
どれもこれもが幸せの条件ですが、そればかりだろうか? いやいやもっともっと条件はありそうですし、とかく親は欲張り者で、ましてや我が子に対しては無いものねだり敵に、良い事ならば何でもかんでも欲張ってしまいますよね。この親の欲張りを気が付くままにひとつ一つまとめて置いて見たいなぁと思ってこの項目を書き続けてみたいと考えています。

投稿者 femil928 : 06:50 | コメント (0)

2009年01月28日

株式会社・福島市 6

 第3の職場は、福島市の安全確保の職場です。現在の福島市は大きな事件も無く平和な福島市です。でも、この平和は何時までも保障はされません。何時事件が起きるかも知れません。株式会社・福島市では、定年退職された皆様の第2の職場として、子どもたちの登校・下校の時間帯に街中を散歩してもらう仕事(?)をお願いしたいと考えています。朝は7時から8時くらい、昼は2~3時から4~5時くらいまで、黄色の揃いの帽子と上着を着てもらい、2~3人が一組になって街中の辻裏々までをのんびりと世間話をしたりして散歩をしていただくのです。一人ひとりが毎日規則正しく1~2時間歩く事は、単に市民の生活安全の確保以上にその人の健康管理に役立ち、如いては医療費や介護費の節約ばかりでなく、医療保険制度や介護保険制度にも波及する効果が大きいと確信します。
 第1の職場は投資資金もかかりますが、販売利益も考えられます、が、第2・3の職場は意識の高揚や肉体的利益はありますが、目に見える金銭的利益は生じませんね。これでは株式会社・福島市の株主としては大いに不満ですよね。もっともっと大きな利益が上がり、株主としても高額な配当やご利益を期待しますよね。それは次回にもっともっと大きな夢物語として述べてみましょうね。

投稿者 femil928 : 10:48 | コメント (0)

2009年01月27日

株式会社・福島市 5

 第2の職場は福島市の清掃です。車で走り抜けていると気にはなりませんが、一度福島市を歩いてみるか、自転車で走ってみてください。たばこの吸殻はいたる所に捨てられていますが、空き缶やペットボトルも、あるいはコンビニあたりで買った食べ物の包みでしょうか、ケチャップやマヨネーズがこびりついた紙袋が散乱しています。基本的にはゴミは持ち帰りましょうと云う慣わしにはなっているのでしょうが、一部の市民の不始末とは思いますが残念な事です。私は株式会社・福島市として、清掃部門を福島市から委託引き受けして、職の無い若者たちに揃いのユニフォームを着てもらって、箒とちり取りを持って、ローラースケートに乗って、そう、そうです、お気付きかと思いますが、ディズニーランドの清掃ボーイさんです、あのように格好よく、楽しみながら町を綺麗にする有意義な仕事を若者たちにやってもらいたいのです。これは単に町を綺麗にするだけでなく、若者たちが奉仕する心をも育む、一石二鳥のいやいやもっと副産物がつく素敵な職場にも発展します。

投稿者 femil928 : 14:13 | コメント (0)

2009年01月26日

株式会社・福島市 4

 第一の職場として、福島市内に点在する休耕田や荒地の再利用です。今の世の中、人体に危険な農薬を使った農作物や、産地が偽られた国産品や、遺伝子組み換えによる危険な食物が沢山流通されています。せめて、私たち福島市民は、私たちの福島市で汚染されていない農地で、農薬を使わずに手間暇を掛けた安全な、季節感のある、生き生きした美味しい物を食べようじゃありませんか。お米も春先にたった一回の除草剤を撒いて収穫される手抜き米ではなく、八十八っ手、手間暇掛けて真心のこもった米を食べましょう。フリーターやニートの若者が十名・二十名と集団生活しながら農作業に汗流す若者に変身した時、福島市の未来に一縷の灯りが、そして、その収穫した自然食の宝を販売した益金で給料を受け取り、所得税を支払えば、福島市の税金の無駄使いも減って、福島市は若者が働き、明るい元気な声が響き、税収の豊かな緑あふれた『美しい福島市』になります。第一の夢物語。

投稿者 femil928 : 09:56 | コメント (0)

2009年01月21日

株式会社・福島市 3

 今回は雇用問題について夢見ましょう。
 現代社会、フリーターとかニートとかと云った若者が全国では200万とか300万とかと云われ、福島市にもそれ相応の数の若者が仕事も無く、仕事もせずに居るとと思われます。そして、昨年来の不景気で解約された非正規社員や解雇された正規社員など沢山居ると思います。
 そこで『株式会社・福島市』の第一番目の仕事は、こう云う人々の職場つくりです。
 日本国では、やれフリーター対策費に何十億円の予算を組んで、働く技術を身に付けさせて、雇い主には補助金を支援してとか、解雇された非正規社員には非正規村を設けて、温かい炊き出しをご馳走してひと時の住まいを提供して、期間が来たらそれ出て行け、やれ退去しろと・・・。何でも付け焼き的な対策や税金のばら撒きで大判振る舞いして、根本的な解決策が施されません。これらの税金の無駄遣いは、いずれの日にか消費税のアップや、所得税の割り増し等で私たちにしわ寄せされ、子どもたちの未来に負の遺産を積み上げるだけなのです。

投稿者 femil928 : 07:00 | コメント (0)

2009年01月20日

株式会社・福島市 2

 『株式会社・福島市』の運営は、福島市民が一人一株以上を全市民が持つ株式会社です。つまり福島市民全員が株主であり、運営責任も利益の配分も持ち株数に等しくもたらされます。細かい点は私の頭の中にありますが、それを書いていたら何日もかかりますので、まあ、福島市民全員が株主の会社なんだ、と云った程度に抑えてください。
 事業内容ですが、これも福島市民が関係するあらゆる部門が対象になりますので、逐次、その都度その部門に付いて考えを、私の夢を語りましょう。

投稿者 femil928 : 07:00 | コメント (0)

2009年01月19日

株式会社・福島市 1

 『株式会社・福島市』は、私たちの愛する子どもたちが夢と希望を持って未来英語にそれぞれの人生をまっとう出来る福島市を、どうすれば提供できるかを模索した私の夢物語です。
 昨年の10月頃から、米国のリーマンブラザー証券の倒産、サブプライムローンの焦げ付きに端を発した金融危機で世の中はすっかり不景気になってしまい、非正規社員の即時解約や、大企業の操業短縮などなどで、又、来春からの就職内定者の解約など、世界経済は大不況に陥ってしまいましたね。
 この不況は100年に一度の不況ではありません。大企業が、ビックファンドが身勝手な我侭とエゴで好き勝手に世界経済を操っているだけで、私たち一般国民はそのトバッチリを受けて苦しんでいるのです。ですから、100年に一度ではなく、何時でも何年か後にも又大企業が、ビックファンドが駄々をコネルと私たちの生活は不況の波に飲み込まれてしまいます。
 私たちの生活は、福島市民の生活は、私たち福島市民が自らの知恵と工夫と努力で守っていかなければなりません。

投稿者 femil928 : 06:40 | コメント (0)

2009年01月18日

明治がまた一人 4

 『お袋の味』は沢山あって何がと云っても書ききれないのですが、こんな事を書きながらも、私の口の中にはあの懐かしいお袋の味がじわじわとにじみ出てきます。
 昔は「さんま」が量り売りで売られるほど安かった頃がありました。毎日毎日・朝・昼・晩と三食「さんま」だらけの日がありました。母に毎日「さんま」じゃ飽きちゃうよと云うと、母は「さんま」をぶつ切りにして油でカラッと揚げて野菜と炒めて餡かけにしてまるで酢豚の様な料理にしたり、三枚におろして骨を抜き、ころもを着けてサッと揚げてそれを焼いて「うなぎだれ」を掛けて「うな重だよ」と、それはそれは本物のうな重(その当時は本物のうな重は食べた事はありませんが)よりもずぅと美味かったものです。
 母は、いや明治の人は苦労しながら知恵を絞って質素ながら節約しながら上手にその人その人なりの味を創っていたのですよね。

投稿者 femil928 : 09:21 | コメント (0)

2009年01月17日

明治がまた一人 3

 私の父は明治42年3月12日に生まれました。丁度今年は生誕100年目になります。8年前に数え93歳で他界しました。母は明治45年4月13日生まれで、平成2年に79歳でなくなりました。二人とも明治の人で、今、平成も21年でははるか昔の人になってしまいましたが、私にしては今でも心の中では一緒に生きているのです。そんな父と母の思い出を、思い出すままに書いて見たいと思います。
 母は料理の名人でした。中国で生活していために中華料理が得意で、若い頃は福島県内の方々の公民館や集会所に出向いて料理講習会を開いていました。きっと今でもあの頃の若奥さん、今では7~80歳のいや90歳くらいのおばあさんたちは覚えているかも知れませんね。とにかく母の料理は早くて美味しくて、どんな素材でも簡単に料理して私たちの育ち盛りの空腹を満たしてくれました。
 『お袋の味』 そう、私にはお袋の味が沢山あります。現代っ子にはあるのかなぁ?

投稿者 femil928 : 13:14 | コメント (0)

2009年01月16日

明治がまた一人 2

 先日、ある報道機関で報道されていた事ですが、会津若松市のいくつかの小中学校の生徒が、自分の両親や祖父母の昔の写真を見て、両親や祖父母からその写真に付いて話を聞いて、総合の学習の時間に発表すると云う内容の報道でした。生徒たちは自分の親たちが育った環境に付いて、写真を通して話を聞いたり、滅多に話をした事も無い祖父母と話をする機会があったり、祖父母が昔を懐かしみながら、またあるときはその頃の苦しかった生活を思い出して涙ながらに話す祖父母に感動したり、思いやったりして、その感動を友だちの前で涙ながら発表する姿が報道されていました。本当に素晴らしい事だと思いました。皆様のご家庭でも是非されて見ては如何でしょうか。

投稿者 femil928 : 06:39 | コメント (0)

2009年01月15日

明治がまた一人 1

 明治がまた一人、このタイトルは私が尊敬する、大好きな父が亡くなって直ぐに考えていたことだったのですが、構想は頭の中で立派に出来上がっていたのですが、いざ文章にして表現しようと思うとなかなか難しく、今日までかかってしまいました。こうなったら立派な文章にするよりも、このブログを利用して、私の父や母の思い出を気の向くままメモ帳代わりに利用して書き残して置こうと考えました。皆様には興味の無い事かも知れませんが、明治の人の考え方や生き方には現代人が忘れてしまった大切な事があると思いますので、気が向いた時にでもちょっと覗いてみてください。私のメモ帳が皆様の何かに役立てば幸いに思います。

投稿者 femil928 : 07:24 | コメント (0)

2009年01月14日

『知能あそび』 6

 「あ」の字を見て「あ」と認識する脳細胞と「い」の字をみて「い」と認識する細胞がいて、二つの細胞が連結する事で「あい」と云う言葉を認識し『愛』と云う意味を認識する。そこに「か」と云う文字を認識する細胞がまざって、「あ」と「か」で『赤』になったり「あ」「か」「い」の三つがからみあって『赤い』と云う形容詞になったりとひとつひとつの脳細胞がより多くの細胞と絡み合い組み合わされて人々の頭はコンピューター以上の素晴らしい働きをしているのです。
 以上述べてきましたように、人間の脳細胞はまだまだ未使用の細胞が沢山あって、それらの細胞を楽しい遊びで揺り起こして遊ばせて活発な細胞に自覚させてより多くの思考回路を構築して頭の良い子つまり一を聞いて十も百も考えを発展させられる、考える事が楽しい子、生きてる事が歓べる子に育てようと云うのが『知能あそび』なのです。

投稿者 femil928 : 06:46 | コメント (0)

2009年01月13日

一日入園

 今日、1月13日(火)は来年度入園予定の皆様の一日入園の日です。入園予定の皆様は朝9:30までにご来園下さい。今日は初めに在園児の皆さんと自由あそびをしたあと、全体集会をして、手遊び・歌あそびをして、帰りには来年度の準備品の注文をして、11:30頃終わります。数に限りがありますが駐車場も準備していますのでお申し出下さい。
 皆様のご来園を心からお待ちしています。

投稿者 femil928 : 07:09 | コメント (0)

『知能あそび』 5

 起こした脳細胞にそれぞれの役目を持たせなければなりません。例えば『やる気』を司る細胞なのに『怠ける』気持ちにも働いたならその人は『やる気』を出せばいいのか『怠ければ』いいのか分からなくなりますね。ですから『やる気』を司る細胞は『やる気』を起こす時だけに活動させるさせるように、何度もなんども繰り返し訓練して、『やる気』の指令が出れば間違いなく活動開始出来るようにしなければなりません。これも専門用語では「髄鞘化」と云います。つまり細胞一つ一つが鞘を被って適切な時に適切に働くようになることですが・・・。
 しかし、脳細胞も一つひとつが単独で働いていては世の中そんなに単純なものではありませんよね。

投稿者 femil928 : 07:00 | コメント (0)

2009年01月12日

『知能あそび』 4

 ボーとして眠っている脳細胞を呼び起こして・活動化させる方法は・・・・。
 まず眠っている脳細胞を呼び起こす方法は、元気に働いている脳細胞が隣で怠けて居眠りしている脳細胞に手を差し伸べて揺り起こす事です。この手を差し伸べる手を専門用語ではシナップスと云いますが、そんな専門用語はいいでしょう。
 揺り起こすにはそれだけの魅力がないと起きませんよね。「起きて肉体労働をしなさい」とか「勉強しなさい」と云われればよけいに眠ってしまうかも知れません。眠気を覚まさせるには楽しくなければなりません。ですから『あそび』なのです。『知能あそび』は脳細胞を揺り起こす楽しいあそびなのです。

投稿者 femil928 : 10:04 | コメント (0)

2009年01月11日

『知能あそび』 3

 ソクラテスやアインシュタインたちですら140億の脳細胞のうち3割強4割弱だそうです。ですから左脳の70億のうちの50億前後しか使っていません。それでは皆様はどれだけ?
 一般的には2割強3割弱、つまり左脳70億の脳細胞のうち30億からせいぜい40億しか使っていないのです。もったいない話ですよね。
 そこで何とかもっと使えないものか、使いたいものだ、せめて50億とは云わなくともそれに近い数だけ使いこなしたいと考えたのが、『知能あそび』です。
 『知能あそび』とは使わず終いの脳細胞を活性化させようと『あそび』です。

投稿者 femil928 : 19:36 | コメント (0)

2009年01月10日

『知能あそび』 2

 全人間が平等に神様から創ってもらった『140億』の脳細胞を、どれだけ使いこなせるか、によってその人が、頭の良い人、そうでない人、に分けられるのです。
 さて、皆さんはこの140億の脳細胞のうちどれほど使っているとお考えですか。よく人間の脳の働きとか云う解説書に『右脳』『左脳』と云って、頭半分の脳の図が書いてありますね。一般的に人間は左脳で考え意思決定し行動します。運動能力などで多少の右脳が働きますが左脳が全てと云っても過言ではありません。ですから140億の約半分右脳は使われずに宝の持ち腐れになっているのです。そこで皆さんは残りの70億の脳細胞のどれだけを使っているとお考えですか。

投稿者 femil928 : 19:02 | コメント (0)

2009年01月09日

『知能あそび』 1

 『知能あひび』についてお話しましょう。
 昔は、でも現在でも「頭の良し悪しは遺伝だ」と信じている方が沢山いますが、頭の良し悪しは遺伝ではありません
 頭の良し悪しはその子の育つ環境によって大きく左右されるのです。つまり良い環境に育てば頭の良い子に、悪い環境に育つとどんなに立派な頭脳を持った子でも宝の持ち腐れで頭の働かない子に育ってしまうのです。
 人間だれでも、どんな子でも、生まれて来る時には『140億』の脳細胞を持って生まれてくるのです。これこそが神様が分け隔てなく全ての人々に平等に創ってくれた能力の基です。不幸にして生後病気で酸素が充分に脳に送られずに、または高熱などで脳細胞が死んでしまって細胞が働かなくなってしまうことがありますが、それでも細胞の数は『140億』あることには間違いありません。

投稿者 femil928 : 06:44 | コメント (0)

2009年01月08日

子育て論 6

 6年間学校に行ったから小学校卒業、3年間在席したから出席の有無は別として中学校卒業、ハイこれで義務教育は終了、とにかく入学試験に合格したので高校生になって何を勉強したかは分からないけど3年間が過ぎたので高等学校は卒業、9割以上の高校生が上級校に進学しているから、文学部って何だか分からないけど、理学部で何を学ぶか分からないけど入学できそうだからと、取りあえず大学生になって、あれあれ4年間授業料を払ったら大卒の資格を貰ったけど、どこにも就職できないから、就職浪人でもして、いやもう一年留年して・・・気が付いたらフリーターやニートになって・・・・
 これが現実でなければ、こんな我が子には絶対なりませんが、でも・・・今、世の中にこんな若者がたくさんいるとかの報道がされていますが、あれは嘘だよね!!そんないい加減なデタラメを公共の電波を使って報道してはいけませんよね。
 『学力』についての子育て論はこの辺にしましょうね。これ以上続けると私の持論の『教育改革論』になってしまうから。

投稿者 femil928 : 06:43 | コメント (0)

2009年01月07日

子育て論 5

 そうです! テストは先生のためにやるだけで十分です。先生自身が自分の指導力の反省のためにテストをすべきなのです。先生が生徒に指導した内容を生徒がどれ程理解したかを客観的に確認するためにテストを行い、生徒たちが理解できて無いのは、なぜなのか? どうすれば理解してもらえるのか? を研究するためにテストを行うべきです。1,2,3,4,5,やA,B,Cなどの成績は必要ないと考えます。
 成績をつけなければ子どもたちは勉強しなくなっちゃう、と心配するでしょうね。成績は必要ありません!!必要なのは子どもたちが修得したかどうかの確認です。どれ程の漢字を修得したか。どれ程の計算力を修得したか。どれ程の理解力を修得したのかなど等を確認して、一定の学力を完全に、ここで云う学力は正しく『学ぶ力』を身につけた子どもが、小学校や中学校や高等学校や大学を卒業できるような制度にしなければなりません。 

投稿者 femil928 : 08:50 | コメント (0)

2009年01月06日

子育て論 4

 私の持論ですが、テストの結果で、その子、その子らの学力の判断や決め付けに使う事を止めるべきと願っています。テストの結果で子どもたちをランク付けしたりするから、子どもたちは、親さんたちはどうすればよい点・高得点が取れるかと云うその一点に絞って「それ勉強」「やれ勉強」「何がなんでも勉強」とただただ勉強になってしまうのです。
 テストは先生のためのテストにすべきです。

投稿者 femil928 : 07:04 | コメント (0)

2009年01月05日

子育て論 3

 「なかなか家の子も大人な考え方をするようになったなぁ」「おおぅ家の子も難しい漢字が読めるようになったなぁ、使い方も適切だし成長がみえる」「なるほど家の子も強くなったなぁ、他人に対する思いやりや協調性もでてきたなぁ」など等と我が子の成長が感じられる場面がたくさんありませんか。
 漢字が読める。計算ができる。英語や外国語が話せる。何々・・・・・ができる。これこそが教育の成果でありますが、できるだけが成果ではなく生活の中でポロ、ポロと随所にあるいは忘れた頃に表現される教育の成果もたくさんありそれらの全てが学力ではないのでしょうか?
 短絡にできる・できないだけで一把からげて、学力がどうのこうのと論じる事は避けたいですよね。

投稿者 femil928 : 07:19 | コメント (0)

2009年01月04日

子育て論 2

 一般的な学力でも百論あって結論がでませんのに、我が子の学力になると親の欲が親の理想が親の無理が絡んで中々良い策・解決策が出ないものでしょうね。
 そもそも〖学力〗とは何でしょうか?
 ある機関が全世界のある一部の子どもを対象にして行ったある一部分のテストの結果で、韓国の子は何点で、米国の子は何点で、フィンランドの子は・・・・だから、それに比較すると日本全国の子どもは優れているとか劣っているとの結論で、日本全国の学者が一喜一憂してそれに振り回されているのでは、我が子にいたっては、ほんの一学校の一学級の極ごく一部のちっぽけな集団の中で、5,4,3,2,1とかA,B,Cとたった一人の担任とか担当の先生の判断でつけられた成績で、大切なタイセツな我が子の一生を決め付けてはいませんか? これが〖学力〗ですか?

投稿者 femil928 : 07:40 | コメント (0)

2009年01月03日

子育て論 1

 本当の子育て論では、私の専門分野ですので、私の子育て観と現実のギャップを色々な面から考えてみたいと思います。例えば〖学力〗について考えて見ましょう。
 皆様は一般的な学力と我が子の学力について如何お考えですか? 
 マスコミなどでは日本と子どもたちの学力が低下していると報道されますが、これに対しては、やれ詰め込み教育の弊害だ、偏差値教育が子どもたちの学習意欲を失くさせた、三割削減の教育改革の結果だ、ゆとり教育・週5日制による授業時間の減少が招いた現象だ、家庭学習の習慣化がつくられていないからだ、など等といわれます。どれも一理ある考察ですが、単にそれだけでないところに教育問題の難しさがあるのですが、そして、片方を正そうとすれば片方が崩れるという相関関係があるだけに中々解決しないのでしょうね。

投稿者 femil928 : 21:52 | コメント (0)

2009年01月02日

今年のタイトルは

 今年のブログのタイトルは、〖本当の子育て論〗〖知能教育とは〗〖明治がまた一人〗〖人間・その原点〗〖株式会社・福島市〗〖我が愛する息子と娘へ〗などの複数タイトルを気の向くままに書き続けたいと考えています。
 本題の、幼児教育に関する内容に統一すべきとは思うのですが、ある意味ではこのブログを私の「思考のメモ帳」としての役割も持たせたいと思っています。ですのである日は皆様へのメッセージであり、ある日は皆様への考えるヒントであったり、ある日は尊敬する我が父・母への思い出話であったり、ある日は親ばかな人間の恥さらしであったりしますが、暇つぶしのつもりでお読みいただけたら嬉しく思います。

投稿者 femil928 : 06:24 | コメント (0)

2009年01月01日

新年明けましておめでとうございます

 
2009年が明けました。今年はよい年になるように心から願わずにはいられませんね。
 昨年は3月頃から中断してしまいましたが、今年は一年間必ず継続する事を私の義務としました。皆様には、時々で結構ですのでこのブログを覗いて見ていただき、もし私が怠けていたら叱咤激励のメールを送ってくださいね。継続こそ力なりですものね。内容よりも続けることに意義があると思いますので、内容に疑問がありましたらどうぞ優しく厳しくご意見くださいね。一年間のお付き合い宜しくお願い申し上げます。

投稿者 femil928 : 18:30 | コメント (0)