2009年02月22日

水泳運動会

 今日、2月22日(日)、当園恒例、年間第3回の『水泳運動会』を、南矢野目のピュアスポーツのプールで行われます。子どもたちが一年間、週一回行われていた『水遊び』の集大成の披露の場です。この冬の最中、元気に・真剣に競技に頑張る子どもたちの姿を是非応援してください。今日のプールはエミール幼児園の貸切営業ですので、一般の方もご自由にご覧頂けますので、興味のある方は是非遊びがてらいらしてください。心から大歓迎いたします。
 時間に午前9時45分~正午までです。お待ちしています。

投稿者 femil928 : 07:47 | コメント (0)

2009年02月20日

人間・その原点 6

 さて、『オムツ』ですが、これが大問題です。人間・その原点が意義するところの第一問題です。
 昔々、その昔には「オムツ」は有ったのでしょうか。無かった時代もあったでしょうね。しかし、赤ちゃんの衛生面なら考えると有った方が良いですね。そこでオムツですが、有るとして考えるとき、オムツはやっぱり使い込なした晒し木綿の柔らかい布で作られ、何回も洗って使えるオムツが最良と思えのです。オムツ交換は親子の会話の、と云ってもまだ赤ちゃんですから会話と云うよりも母親からの一方的な話し掛けですが、赤ちゃんの健やかな成長には欠かせない大切な呼びかけを伴った仕事です。そして、その交換の時に、我が子の健康状態の点検や便の色や形状から病気の早期発見などの大切な仕事にもなります。また汚れたオムツを洗濯して天日で干して取り込んで畳む仕事を通して子育ての大変さと、我が子を愛しむ心の癒しを育み、健やかな成長を楽しむ歓びが味わえるものです。またお母さんたちにはそうあって欲しいもののです。

投稿者 femil928 : 10:35 | コメント (0)

2009年02月18日

人間・その原点 5

 さて、『誕生』から、人間・その原点をスタートしましょうか。
 赤ちゃんが、『男の子』か『女の子』か、それは人間として後々には大切なことですが、また、その性別で考え方も大きく考慮しなければならないことが沢山ありますが、それは、その都度また考える事にして、この段階としては、『赤ちゃん』として考えてみたいと思います。
 まず、赤ちゃんが生まれて直ぐに必要とするものは、産着でありおしめでしょうか。産着とおしめは、お母さんになると知った時点で、お母さんの仕事初めです。産着は2~3枚あれば充分でしょう。洗い尽くした、使いこなした浴衣地や晒し木綿地で作ってやれば、第二子・第三子にも使い譲れるものです。その方がむしろ肌に馴染んで赤ちゃんには快適です。是非、お母さんになる準備として、可愛い我が子を夢見ながら準備して欲しいものですね。
 さて、オムツですね。

投稿者 femil928 : 21:03 | コメント (0)

2009年02月17日

人間・その原点 4

 そこで「お産」の問題ですが、昔々の、今から何千年も何万年も昔の人々は「お産」はどうしていたのでしょうね。それは現代社会から比べれば、死産もあったり、新生児の生存率の問題なんかも比較の対象外でしょうが、「昔と今を同等に論じるな」とお叱りになられるでしょうが、もう少し近現代、明治時代とか大正時代、いや、昭和の初期頃の「お産」はどうだったのでしょうか。産科医が居なくて『お産婆さん』とか『助産婦さん』が新生児を取り上げていた(この表現は正しいですか?)時代は、「たらいまわし」は無かったと記憶しています。確かに「あそこの赤ちゃんは難産で死んじゃっただって」とかの話は現代よりも多く聞かれましたが、「どこの病院でお産したら良いか」とか「産科の先生が居ないからお産を諦めている」とかの話は社会問題になっていませんでした。
 私の荒っぽい考察ですが、昔の人は、『人の生き・死に』と云う問題はもっと神秘的に受け止めて、つまり、人間の生命は神のみぞ知る、運命的なものであったと思うのです。ですから、ある意味で『生死』を冷静に受け止めると共に、誕生を喜び・命を大切にし・死を心から悲しみ、死後も何回忌・何回忌と大切に弔っていたのではないでしょうか。ですから逆に現代社会ほど、子殺しゆ親殺しや無差別殺人や虐待による殺しなどは少なかったと思うのです。

投稿者 femil928 : 13:06 | コメント (0)

2009年02月16日

人間・その原点 3

 貴方にとって一番欲しいものは何でしたか? そして一番大切にしているものはなんでしたか?
 欲しいものや大切にしているものが、お金であったり、車であったり、マイホームであったり、と云うお考えが無かったでしょうね。倉本聡さんは、『水・空気・自然』であって欲しい、そして、『豊かさ』や『幸せ』や『贅沢』と云うものが物質的な物で判断されてはいけないと番組の中で力説されていました。
 正しく、私がこれから展開しようとしている『人間・その原点』はこのことなんです。もう一度『人間とは』『生きるとは』『豊かさとは』『幸せとは』を原点に立ち返って考えてみたかったのです。
 まずスタートとして『生命の誕生』と云うことから考えて見ましょう。う
 現代社会、産科医の絶対数が不足していて、妊産婦が安心してお産が出来ない、また、緊急医院をたらい回しされて、尊い命を・・・と云う事案が頻発していますね。この問題から入りたいと思いますが、大変な問題からのスタートになってしまいました。
 最初に、これから展開されていく文章は私の私的な生活経験に基づく考えであり、これによって皆様が考えるヒント等と云う大袈裟のものではなく切っ掛けになればぐらいに、軽く受け止めてください。

投稿者 femil928 : 07:12 | コメント (0)

2009年02月15日

人間・その原点 2

 こんな事を書いていたら、先日(2月11日(水)夕方7時頃)日本とオーストラリアのサッカー試合が中継されていた裏局で、『北の大自然スペシャル・森のラブレター 富良野自然塾長・倉本聡が自然の理念と地球への思いを語る』と云うタイトルで素晴らしい番組が報道されていたのを思い出しました。皆様はご覧になりましたか。きっとご覧になったでしょうし、見ていたと願いたいですね。
 その番組の中で倉本聡は自然塾を訪れたレポーターに、「貴方が一番欲しいものは何ですか?」と問いかけ、次に「貴方が一番大切にしているものは何ですか?」と問いかけました。
 どうですか?貴方なら何と答えますか? ちょっと考えてみませんか?

投稿者 femil928 : 14:57 | コメント (0)

2009年02月14日

人間・その原点 1

 現代社会、私たちの身の回りにはありとあらゆるものが氾濫、そう正しく氾濫していますよね。例えば皆様のご家庭にはボールペンは何本ありますか。私の家庭だけでしょうか?私の今目の前だけでも5本あります。後ろを向くとテーブルの上に3~4本、引き出しを開くとあっちに3本、こっちにはケースにそっくり12本その他に7~8本、きっと数えたら100本はゆうにあると思います。私の職場にも溢れています。多分貴方の家にも似たような状態で溢れていると推察します。しかし、こんなにあるボールペンでも文房具屋さんの店先には沢山の種類のボールペンが並び、いろいろな商店でも景品として数百本のボールペンが在庫され、メーカーでは一秒間に数本の割合で、流れ作業で生産されている事と思います。
 私たちの日常生活にボールペンが出現したとき、皆さんは覚えていますか?きっと皆様が生まれたときにはもうボールペンが溢れていたかも知れませんが、私ははっきり覚えています。あんなに新製品の出現に感動した事はありません。使い果たすと買い換える出費を惜しんで、替え芯を入れ替えて大切に使ったのに、・・・・。
 この項目では、人間として生きていく中で、本当に必要なものは何なのか。どれぐらいあれば充分なのか考えてみたいと思います。どれ程、どこまで考察できるか不安ですが、私なりに気がかりな面を、私なりに考察して見ます。お付き合いのほど宜しくお願いいたします。

投稿者 femil928 : 18:35 | コメント (0)

2009年02月13日

子育て論・13

 とにかく未発達の面にだけ照準を当てて、『発達障害児』と定義づけて『支援』するのでは無く、どんな表現が適切か分かりませんが、ある面で特別に発達している、仮に『超発達児』と定義づけた児童に対しても『支援』する事を公的機関が設置されなければ、『法』が定める『ひとり一人の子どもの能力に相応した教育を受ける権利』は不平等になり、子どもたちの『教育格差』はその子その子の能力に関係なくその子の育つ環境、特に経済的環境によって決定付けられてしまいます。
 つまり『教育格差』は『経済格差』に左右され、『教育格差』は『経済格差』を生み出し、『経済格差』はより大きな『教育格差』を子どもたち社会に出現させ、その『教育格差』はもっと大きな『経済格差』に・・・と悪循環は人間社会を『格差社会』にしてしまいます。
 『格差社会』は人間社会に『不幸』しかもたらしません。『格差』が教育によって派生する事、『格差』が経済にょつて派生する事は決して正しいものではありません。「駕籠に乗る人、乗せる人、そのまた草鞋を作る人」と云う諺がありますが、これは格差ではありません、それぞれの人がそれぞれの能力に応じて、それぞれの分野を受け持つ事で社会は成り立つと云う事で、自然の摂理です。それを『格差』とか『差別』と受け止める事は一種のうがった受け止め方です。この事は何時かまた別の項目で検証しましょうね

投稿者 femil928 : 06:47 | コメント (0)

2009年02月12日

子育て論・12

 こんな事を書いていたら、昨夜(2009.2.10)のNHKのクローズアップ現代で「なぜ進まない・発達障害児支援」と云うタイトルでイギリスでは10年前には7000億円だった障害児支援予算が今は10倍の7兆円になったとの報道がされていました。日本ではある400名規模の学校で支援を必要とする児童が約3割弱の100数名いるのに、その児童に対応するコーディネーターは2名で、教材も全て手作りであり、指導書も充実していないので暗中模索の上に、自信も持てずに指導に当たっているのが現状だとの報道もされていました。
 『発達障害児支援』確かに大切な政策ですし、私も否定はしません。しかし、アインシュタインもエジソンも(一説によれば前ブッシュ米国大統領も)発達障害児だったのです。番組の中でも、数学的には素晴らしいさ才能があるのに、言語的発達は未熟であるとか、芸術的素晴らしい才能があるが、じっとして学習する自制心が未発達な子、など等の発達障害児と云いますが、ある意味では『個性』と受け止めても良いのでは、あるいは全ての完璧を求め過ぎず、持っている素晴らしい才能をもっと自由に本人なりに満足するだけどんどん伸ばしてやる事の方が、本人にとっても幸せなんではないだろうか、と思いますが。

投稿者 femil928 : 06:46 | コメント (0)

2009年02月11日

子育て論・11

 経済的に恵まれた子どもはその能力をどんどん伸ばして輝ける未来に確実に突き進みます。一方素晴らしい能力を持っていても家庭的に恵まれない子どもは持てる才能を磨き育てる機械が無く何時の日か埋もれたまま唯の人に、これを『教育格差』と云うのではないのでしょうか。
 公教育が『法』の定めるひとり一人の子どもの能力に相応した幅広い能力差に応じた学校を設置しない以上は、教育格差は子どもの能力差とは無関係に、それぞれの子どもの育つ環境さによって決定付けられると云う悲劇が現実なのです。
 昔は「蛍の光窓の雪」と経済的貧困でも向学心があれば素晴らしい学校に進学でき、立派な社会人となり、貧困な人々の苦しみをわが身で正しく理解できる素晴らしい人間に育ちましたが、今の一流校と言われる大学や高級官僚と言われる社会人は経済的に恵まれた上流社会(?)のお坊ちゃま・お嬢様で蔓延して、人の苦しみに無関心で、経済感覚が無い、わが身の保身にだけ働く、「天下り」や「渡り」で税金の無駄遣いを強要する人々(皆がみんなとは言いません)になってしまうのです。(ちょっと余計な事の発展したかな)

投稿者 femil928 : 09:53 | コメント (0)

2009年02月10日

子育て論・10

 有能な優れた子どもに対するその子に合った教育を受ける権利が保障されていないから、優秀な子どもは学校教育を見捨てて(?)月額10万もする超エリート塾にせっせっと通うのです。その子は学校では経験できないその子の限界に挑戦できる難しい問題に魅了され、その難問を解いたときの達成感、成就感、知らなかった新しい知識との遭遇はその子にとっての生きてる証となり、輝ける未来への素敵な道への一歩一歩の確信なのです。どうでしょうか、その子を責める事は出来ますか。その親を私たちは否定する事は出来ません。しかし、そんな子に投資する経済的力があればその子は救われますが、経済的余裕の無い家庭に生まれた子には、その子の好奇心や向学心や学ぶ喜びは味わう事が出来ません。こんな子どもが世の中には沢山居るのではないでしょうか。これが教育を受ける機会均等でしょうか。素晴らしい人材がそのもてる能力を発揮する機会を与えられずに埋もれてしまっている事は日本国の計り知れない膨大な損失と考えるのはおかしな考え方でしょうか。

投稿者 femil928 : 16:30 | コメント (0)

2009年02月09日

子育て論・9

 障害者にはその子に合った施設を設けて教育するのは当然なのに、なぜ能力の優れた子どもにその子に合った施設を創設して教育する事を快しと認めないのでしょうね。皆さんそうは思いませんか。私は絶対に認めるべきだと確信しています。こんな事書くと皆さんに『総すかん』をくうかな。
 その子の能力に合った教育を受ける権利、この文言は皆さん受け止められますよね。その子の能力に合った教育がされていないために『落ちこぼれ』と云う現象が起きている。漢字も思うように読めないのに、もう六年生なんだからと漢字が沢山書き込まれている教科書を読まされる(?)から国語が嫌いになってしまう。掛け算が完全に修得されていないのに割り算をしなさい(?)とか、分数の通分をしなさいと言われても出来るわけがありませんよね。その子の能力を無視して『もう何年生だから・・・」と年齢で決め付けられて受ける授業ほどつまらないものはありません。ですよね。今『落ちこぼれ』で書きましたが、その逆はどうですか?貴方のお子さんで考えてみてください。算数は『落ちこぼれ』かも知れませんが、国語力ははるかに優れていると云った様に、科目別に見ると今は四年生でもA教科では四年生程度でも、B教科では六年生以上、C教科は二、三年生程度と得て不得手があっても当然ですよね。

投稿者 femil928 : 06:41 | コメント (0)

2009年02月08日

子育て論 8

 日本の子どもたちは『法』(憲法や教育基本法などの法ですが、あえて私はその根拠を書きたくありません、とかく日本人はその根拠やあるいは著名な方々による論説や調査データーが記載されると、それが嘘八百を並べられても鵜呑みにし信じ込んでしまいがちです)の下に、全ての子どもはその子の能力に応じた教育を受ける権利があり、親はその子に教育を受けさせる義務があるのですが、その権利や義務は守られていないのが現実ではないでしょうか。現実を見ると、例えば障害者に対する個別指導は充分とは言い難いですが、ある程度考慮されていますが、能力の優れた子どもに対しての公教育は皆無と言って過言ではありません。大阪府の橋本知事が、超エリート校を創設しても良いのでは、と云って物議を醸していますが、それは差別につながるとか、受験戦争を煽るとか、公教育には相応しくないとか、何やかんやできっと実現しないでしょうね。『法』でその子の能力に応じた、と明言されているのに、往々にして私たちは障害者に対しては理解を示しますが、有能な優れた人に対しては何かと難癖を付けて認めようとしませんね。

投稿者 femil928 : 16:39 | コメント (0)

2009年02月07日

子育て論・7

 一昨日、ある民放のお昼の番組の中で、『お受験』が報道されていました。ご覧になった方もきっと沢山いらっしゃると思いますが、内容をちょっとご紹介しましょう。ある小学校5年生が有名中学校を受験する事に目覚め、学校の勉強時間以外に1日10時間の勉強を、正しく寝食を忘れて、学校が終わるとお母さんの車で塾に直行、その車の中でも勉強、塾では夜の10時までひたすら勉強、帰りの車の中でも当然、帰って夕食(?)を済ませて入浴を済ませるや否や又勉強で寝るのは日が変わった1時過ぎに、そんな365日を2年間続けて、先日の有名中学校のお受験には6~7校の受験で全校に見事合格すると云う内容でした。塾の費用は月々10万掛かっているとか。何かすっきりしない気持ちでチャンネルを別に回すと、そこはアンデスの山の中の小さな村、そこの広場では、ボロボロになったボールひとつを数人の子どもが裸足で蹴り合っているが、その子どもたちの顔は楽しさで満面の笑顔、私には爽やかさすら感じられました。ふと『教育格差』と云う言葉が私の頭の中をよぎりました。

投稿者 femil928 : 11:28 | コメント (0)

2009年02月06日

我が愛する息子と娘へ 9

 最後にまとめておこうね。ここで伝えておきたい事は、学校の勉強も含めて社会学も世の中の仕組みも制度もどんな事でも学ぶ意志があれば、楽しい事だからしっかり学んで欲しい。そしてひとり一人が賢くなって、自分のことは自分がしっかり判断して、自分の責任の下に実行していって欲しいのです。他人に頼ったり、他人の責任にしたり、国に求めて補助を貰ったり、制度を設立してもらったりと、『福祉』と云う隠れ蓑に、甘えた言葉に頼っていたら、それは何時の日か『税金の無駄遣い』と云う膨大な負の遺産が積み上げられて、ゆくゆくは君たちがその借金を負担しなければならなくなる、と云う事に気付いて欲しいのです。今の社会で言えば、定額給付・非正規労働者への支援金・フリーターや引きこもりの若者への支援制度・働くお母さんが働きやすくするための施設の建設費や支援制度などなど沢山・沢山ありますが本当に支援策なのか、問題解決につながるのか、しっかり自分の頭で考えてくださいね。

投稿者 femil928 : 14:14 | コメント (0)

2009年02月05日

我が愛する息子と娘へ 8

 君たちは、なんで勉強していると考えていますか。そうなんです。正しく勉強の意味はここにあるのです。往々にしてみんなは「勉強しないと良い学校に進学できないよ」とか「良い会社に入社するためには良い学校を卒業しなければ」とか「より高収入を稼ぐには・・・・」と云われて、その『より良い・・・・」のために勉強していると強いられているから勉強が面白くない、と決め付けている事もあると思うが、勉強の本当の意義は、ひとり一人が人間らしくしっかりした理性の基に適切な判断力を働かせてより人間的な豊かさの生活を享受するために行われる、人間と云う賢い動物にしか出来ない活動なんだよ。
 「これはテストにでるかな?」「これはテストに出るから覚えなくちゃ」なんて考えながら勉強はしないで下さい。『なるほどこの考え方はあの政策の素なんだ』『こう云う意図の下にこの方針は立てられているんだ』と『知る事が増える事を楽しむために』勉強をしてください。『考える葦』に育ってくださいね。

投稿者 femil928 : 07:04 | コメント (0)

2009年02月04日

我が愛する息子と娘へ 7

 昨年の11月頃から、非正規社員のリストラやら、派遣社員の契約打ち切りやら前倒し、大企業が相次いで利益の見直しで、数千億円の黒字から数千億円の赤字へ修正等などと報道されていますね。そして、雇用の創出と云う事でワークシェアリングとやらで労働時間を分け合い、それに伴って賃金も分け合って実質的には給料の削減を強いられたり、・・・・。
 これらの報道に対して、国民の多くは鵜呑みにして、マインドコントロールされて、世の中厳しいんだから仕方ないよと諦めてしまっています。
 我が愛する息子と娘よ、なぜリストラなのか、非正規労働者の是非やあり方はこれで良いのか、ワークシェアリングは正しい対処法なのか、政府は、企業は、我々国民はどうあるべきか、しっかり考えなければならない時代が今なのです。

投稿者 femil928 : 15:03 | コメント (0)

2009年02月03日

我が愛する息子と娘へ 6

 大人が変われば子どもは変わる。社長が変われば会社が変わる。校長が変われば学校が変わる。の類のように、トップが変われば、確かにその組織は変わります。例えば『政治』の社会なら、私たちには選挙権がありますから、選挙をする時にあなた方の大切な一票を真剣に検討して投票すれば政治を変えられます。お父さんやお母さんと、または友だちとや仲間とならば話し合いで互いに意見を交換すれば互いに代わることが出来ます。せめて会社ぐらいまでは、無理かな、でも当たって砕けろの精神で直談判すれば会社も返られるかも知れません。
 しかし、この世の中、ましてや世界は、『強欲と強欲』が複雑に絡み合い、強力な権力が我々の想像外でしっかり筋書きされていて、オバマ大統領がどれ程の夢や希望を唱えても、限界があるのです。
 それでは、私たちはどうすればいいのか?

投稿者 femil928 : 19:07 | コメント (0)

2009年02月02日

我が愛する息子と娘へ 5

 しかし、人間は他の動物以上に『理性』があると同時に、大変『欲張り』な動物でした。この『欲張り』があったからこそ人間社会が発達したのですが、その欲張りで『自動車』と云う物を発明・発展させるようになって、つまり、より早く、より楽に、より気ままにと云う欲が人々の生活に具現化するようになって、人々はどんどんスピードを求めるようになり、それを得るために所得を貪り、我が利益のためには自然の破壊も人間関係の阻害も・疎外も、それが天に唾する様なやがてはわが身に降り注ぐ黒い雨の素であっても、今が良ければ未来がどうなろうと知らぬ存ぜぬと、それがあたかも文明の発達であり人間社会が求める至福の産物でもあるかのように貪欲に求め続けてしまったのです。
 オバマ大統領は黒人の悲哀を理解できる、身近に感じた人として『CHANGE』『YES WE CAN』と世界集の人々に夢と希望を抱かせる救世主の様に現れましたが、人間の『強欲』はそんなに容易く改まるものではありません。

投稿者 femil928 : 09:44 | コメント (0)

2009年02月01日

我が愛する息子と娘へ 4

 挨拶の次に来るタイトルではないが、先日米国では第44代大統領に黒人出身のオバマ氏が就任し、米国民は基より世界中の人々が世界は『CHANGE』する『YES WE CAN』と夢と希望にあふれています。こんな時だからこそ伝えて置きたいと考えて書きます。
 我々の生きていく世界、人間社会は漢字の『人』と云う文字にも表されているように、一人ひとりが支えあって助け合って知恵を出し合って築き上げられるものなのですが、それは原始社会のことで、現代社会はすっかり様変わりしてしまったと思うのです。
 確かに『人』と云う文字が出来た頃は、ヒトビトは生きていく事が生きる目的だったと思うのです。今日食べるものを求めて、今を生きるために食べ物を探して、それで明日への生きる喜びを得てそれぞれが生活していました。そこにはヒトビト全員が生きる事への共通目的だけが存在し、その他はひとりよりは集団で暮らす事が身の安全であり楽しさであったのです。そこに『人』の集団が出来、『社会』が発生したのです。

投稿者 femil928 : 14:34 | コメント (0)