2012年07月27日

お母さん、家庭に帰りましょう!

 すべては子どもたちのために

 お母さん、あなたのお子さんは、あなたが外で働くことを喜んでいると思いますか?

 あなたのお子さんは、学校から帰ってきて、自分でカギを開け、「ただいま」と言う相手もなく、「おかえり」のお迎えの声もない、さびしい(きっと寂しいのではないかと私は思うのですが)部屋に帰って喜んでいるとお思いですか?

 あなたのお子さんの精神的空しさの代償とあなたの稼ぎと対照したとき、いくらほどのプラスになっているとお考えですか?お子さんの空しさはいくらに換算してのプラスですか?私は大きなマイナス(大げさに言えば、単にあなたのご家庭だけでのマイナスではなく、日本国国家のマイナス)だと憂えています。

 あなたが今やっているお仕事は、貴女でなければできないお仕事ですか?可愛い我が子の寂しさや空しさ、もっと言えば、お子様の学力も犠牲にしてまで貴女が働かなければならないお仕事ですか?・・・・・・・・・もしそれほどまでに貴女の職能を必要とするお仕事であれば、大変でしょうが是非ぜひその職能を心置きなく頑張ってください。そのためには24時間しっかり安心できる保育施設を国を挙げて準備しておきますので。

 すべては子どもたちのために

 きっと、私の邪推かも知れませんが、医師とか教師とかその他にも看護師とか素晴らしい職能をお持ちでお仕事をされている皆様を除けば、お仕事をされているお母様の多くは、わが子の教育費のために、住宅のローン返済のために、もう少し贅沢をしたいために、あるいは、塾や習い事をさせるために働いている方が多いのではないでしょうか。勿論、お母さんが働かなければ生活ができない母子家庭や低所得者等の方もいらっしゃると思います。大切な・大変な・真剣に考えなければならない問題でこの問題は別の機会にもっと掘り下げて考えましょう。取り敢えず、上記のようなお母さん方にはもう一度
すべては子どもたちのために
を前提に今のお仕事が本当に貴女がやらなければならないお仕事かを考えて頂きたいのです。
                    続きは又次で

投稿者 femil928 : 14:57 | コメント (0)

2012年07月24日

オスプレイ

 オスプレイとわが子の健全育成と何の関係があるの?と思われることでしょうね。

すべては子どもたちのために

 そうです!子どもたちの未来に大いに関係があります。

 そもそも何故オスプレイが必要なのでしょうか。日本国の平和を守るためには軍事力が必要であり、その軍事力の大きさが抑止力として第三国からの侵略から日本国を守り平和が保たれるのだと言う論が成り立つのです。その軍事力の増強のためにオスプレイの配備が欠かせないのだ米国の主張であり、日本国は同盟国として止む御得ない事と認めざる負えないのです。

 ここで問題です。私たちは子どもたちに戦争のない平和な世界を、と平和教育をしているのに、国や世界は平和を守るための戦争と訳の分からぬ理由で戦争をし、万が一戦争になったときのために日ごろから軍備力を増強していざの時に備えなければと、戦争ありきの軍事力に巨額の国費が費やされています。

 この軍事費を子どもたちの教育に振り向けたら、義務教育だけでなく高校も大学も無料化にして、貧困の格差による教育格差が解消され、日本国民は世界に誇れる高学歴国民になります。
 私は国はもっと小さな政府になるべきだと考えています。国は外務省、総務省、法務省、金融省、国土省、文部省、医療省だけで良いと思うのです。あとは国民の人間としての理性に基ずく自主性に任せればいいと思います。つまり、防衛省は要らない省で、外務省が対外的問題を解決し、文部省が平和教育をしっかり行えば良いのです。
 文部省は基本的日本国の教育の規範を指導徹底し、子どもたちの教育費は幼児期から大学院までの20数年間無料にし、学校の設立は国が、運営は基本[私学]とし、それぞれの学校の校長の自主性に任せ、子どもたちは自分の考えで学校を選び、教科も自分の考えで選択して自分と意気が合う先生の授業を受けられるようにすべきだと思うのです。

 教育改革に話が飛んでしまいましたが、教育改革はまたの機会に詳しく書くとして、今ここで言いたいことは軍事費を削減してそのお金を教育に向けて欲しいということです。

 もい1点、オスプレイで書きたかったことは、
 このオスプレイの配備に対して、大げさに言えば全国民が反対しているのに、国は、「米国と慎重に検討して安全が確実に保証されるまで試験運転させない!」とか、「各種委員会を設けて米国からも総ての資料を取り寄せて・・・・・」とか、岩国市長や沖縄知事たちは「げったいに陸揚げさせない!」と言っていますが、どれもこれもみんなパフォーマンスですべては出来レース、大飯原発の再稼働反対でも結局は再稼働され、全国各地で行われている原発に対する公聴会も原発依存の国の思惑ありきのパフォーマンス、いじめ問題の解決策でも文科省で「いじめ対策支援チーム」を新設して・・・云々と本気度が感じられない形骸化された発想、どれもこれもただ単に国は頑張っていますよと国民に見せているだけですべては何かの圧力のままに決まっているとか、本気でやる気はありませんと言った今の日本を、これで良いのでしょうか???

こんな日本で私たちの子どもに幸せな未来があるのでしょうか???

すべては子どもたちのために

投稿者 femil928 : 19:09 | コメント (0)

2012年07月20日

いじめ Part 4

 すべては子どもたちのために


 いじめについて書きだしたら終わりのないエンドレス文章になってしまいます。ここで、多くの皆様から反感を得ることを覚悟で、すばりと、厳しく締めましょう。


すべては子どもたちのために


 大げさに言えばいじめが蔓延しているこの世の中、いじめが撲滅することのないこの世の中、このままではあまりにも、地球上で唯一理性を持つ動物、人間として悲しい事ですね。

 そこで言わせてください!

 いじめられてるお子さん(大人も含め)も
 いじめているお子さん(大人も含め)も

 そんな子どもに(大人に)育てたのは、その子を育てたお父さん・お母さん、あなた方の子育てが間違っていたためであることをしっかり自覚してください。

 杞憂(こんなことを書いても、間違った子育てをしている親さんは、真剣に子育てなど考えないで、お笑い番組や自分の欲望のみにウツツヲ抜かし、わが子には無関心でいるから、いじめっ子・いじめられっ子になるんですよね。学校などで問題が起きる度に、学校では全体集会を開催しますが、集まる親さんは当事者ではなくて、本来集まる必要のない方々で、当然集まってほしいその問題の当事者の親さんは、忙しいとか仕事があるからとか極端な場合はうちの子には関係ないとうそぶく始末、これでは全体集会の意味がありません!そんな中で討議されても絵に描いた餅のようなもので、実行不能で何ら解決策にはならないのです。)

 杞憂が長くなりましたが、いじめっ子もいじめられっ子も、

 一言でいえば さびしいっ子 なのです。

 青少年(大人)の問題が起きると、必ず、ごく普通の子(人)で・・・・とコメントされますが、表面だけで子ども(人)は判断してはいけません。多くの人間は自分の心の内を素直に表現することは苦手です。家庭内の問題は外に出したくありません。一見充たされた家庭に見えても、ご両親が有識者のご家庭でも、ご両親が犬と猿のように寄ると触ると喧嘩ばかりしている家庭でも、子どもがどれほど傷ついているかわからない環境でも、子ども(人)は精神的にさびしいのです。

 さびしさを測るというか基準は会話があるかです!! 親子の間で、人と人との間で、形の上での会話でなく、互いに心を開いた本音で自分の心の底から話ができるかが大切です!!
 
無関心は会話になりません。押さえつけは会話になりません。一方的駄々は会話ではありません。勝手にしなさいは会話ではありません。
 
会話の必須条件はお互いにです!!
 
 特に大切なのは話し手よりも聞き手が大切です。話し上手よりも聞き上手にならなければなりません。弁舌は自分の気持ちを伝えるのですから話し上手でなければなりませんが、会話は聞き上手がいて初めて会話が弾むのです。聞き出すにはその話を肯定することから始まります。否定すれば会話はそこでストップです。


 いじめっ子のお父さん・お母さん、と言っても、きっとこれは読んでくれないでしょうね。でも一人でも居てくれたらうれしい事です、でも、いじめられている子のお父さん・お母さんはきっと読んでいただけていると思いますので、一言助言したいと思います。

 子どもとの時間を持つような積極的な努力をしてください。そのためには共通の話題が持てるように共通の趣味を持ちましょう。何でもいいと思います。親子で楽しめる趣味であれば(大きい声で言ってはいけませんが麻雀でも花札でもほどほどなら良いと私は思います)良いと思います。たとえば麻雀でもその発展的危険性をも親子で楽しむ中で指導できれば親子関係がより本格的になりますよ。
 
 すべては子どもたちのために
  親子で楽しい時間を持ちましょう!!

投稿者 femil928 : 16:30 | コメント (0)

2012年07月18日

いじめ Part 3

 前日も書きました、いじめは単に教育の現場だけでなく私たち大人社会でも日常茶飯事に起きているのです。国の統制機構や体制や社会構造や行政機構などの根本的改善をする国の当事者としての覚悟がない以上は、今の教育現場、いや、もっと大袈裟に言えばこの世の中からいじめを無くすことは絶対にありえない事です。

すべては子どもたちのために

 いじめが無くならないなら、いじめから私たち自身が自己防衛するしかありません。
 昨日、子どもを学校から守る方法として義務教育について書きましたね。ここで教育基本法の「義務教育」の条をご紹介します。

 教育基本法、第4条に、義務教育について、[国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」と書かれています。

 この条文からどこにも子どもは学校に行かねばならないとは読み取れません。この条文の義務とは親が子どもに教育を受けさせる義務があると言うことです。

 ですから、いじめを根絶できない学校に子どもを無理やり行かせる義務はないのです。今の世の中教育する場所が学校にしかないような実情であり、義務教育以上の教育の場、つまり、高等学校や大学に進級するには、学校に行かずに資格検定試験を受けてさらなる上の進学もできますが一般的にはと言うか多くの子どもたちは小学校を卒業して中学校、中学校を卒業して高等学校、高等学校を卒業して大学と言ったステップを踏んでいるために、より高い教養を身に着けるには学校に行くことが無難だということなのではないでしょうか。
 また、行かなくても良いとは言っても子どもは子ども社会の中で育つのであって、自宅に一人ぼっちで生きていくのは健全な成長ではありませんね。子ども一人ひとりに見合った学校を選んでやることも、いじめからわが子を守る一つの手段です。この選択は親の義務なのです。わが子の学区はどこそこだからこの学校にしか行けないのと消極的な態度ではかわいいわが子は守れませんよ。

すべては子どもたちのために

 学校の先生を責めてはいけません。先生方もいじめの被害者であり、その悩を少しでも軽減しようと加害者にもなりかねません。不幸にしてかわいいわが子が通う学校がそんな学校ならば転向しましょう!!!それができないなら休学させましょう!!!それも無理なら、孟子の母のようにわが子のためにより良い土地に三度か四度引越ししましょう!!!

投稿者 femil928 : 07:50 | コメント (0)

2012年07月17日

いじめ Part2

先日いじめについて書きました。その後連日のようにいじめについてのレポートが放映されています。皆様も、もう、うんざりしているのではないでしょうか。子どもたちには大切な課題であり、うんざり、等と言うのは大変怪しからん事ですよね。それなのにうんざりするのはなぜでしょう。
 
 すべては子どもたちのために

 皆様は連日の報道を見てて、あの校長先生の態度、話しぶり、話の内容、教育委員会の委員長や関係者の無表情な反省のなさ、これで学校からいじめが無くなると期待できますか。私は学校長を教育長を攻めているのではありません。

 よくよく考えてみてください。
 あの人たちは何故あんな状態になっているのでしょうか?

 あの方たちもいじめの被害者なのです。組織と言う枠の中で日々いじめと戦っているのです。自分の信念で言動したら上司から叱られ、失職するかもしれません。自分の生活を守るためにはああしか言えないのです。そして、その憂さ晴らしが部下を厳しく管理しいじめ。いじめられた部下は現場の先生にさらなる監視と言ういじめで、つまり、いじめる側といじめられる側とが攻守を変えて連鎖しているのです。

 あの方々もいじめの当事者なのです。その当事者に、どうすればいじめはなくせるかと聞くのは、犯罪者にどうすれば犯罪は無くせるかと聞くようなものです。いじめで苦しんでいる人にいじめを無くす方策は立てられません。

 文科省をはじめとして教育界を構成している組織を改革して、規制緩和で教育界に自主自立の自由権をあたえいつでも子どもたちのために先生方が心配りができるゆとりがなければ、いじめの根本的解決は希望できません。言い換えればこのままでは学校からいじめはなくなりません。

 いじめは無くならないのです。あっては絶対にいけない事ですが、私たち親は、今の教育行政では多くを期待できないことをしっかり心にとめて置かなければなりません。

 私たち親はどうすればよいのでしょうか。

 すべては子どもたちのために

いじめに強い子どもに育てる 

 これしかないと思います。いじめに強い子どもに育てるには、幼児期から多くの失敗を経験させその失敗を自力で乗り越える歓びを体でたくさん体験させてやることです。何でも欲しい物を買い与えるのでなくあるもので遊ぶ工夫を経験させることも逞しい子どもに育てるには大切なことです。
 いじめに負けない子どもの育て方についてはこれから折に触れて書いていきましょう。

 もう1点親さんとして子どもをいじめから守る手段として知っておいて頂きたいことがあります。

 それは、義務教育とは何か、と言うことです。

 皆様の多くは、義務教育とは、子どもが中学を卒業するまで学校に行かなければならない義務があると思っていませんか? 
 これは大間違いです!!!
 義務教育とは子どもが学校に行かなければならない義務ではなく、親はわが子が15歳の春になるまでは教育をしなければならないという義務があると言うことです。つまり、子どもには教育を受ける権利があって、学ぶ権利や学ぶところを選ぶ権利があって、仕事をさせてはならないということです。つまり、子どもには学校に行かなければならない義務はありません。
 いじめが絶えない学校に行かなくてもいいのです。無理やり、我慢させて行きたくない学校には行かせなくても良いのです。この件についても後々ゆっくり丁寧に書きましょうね。

 とにかく、悲しいことですがいじめは無くなりません!!!

すべては子どもたちのために

 世の中、皆で変えてやりたいですね。

投稿者 femil928 : 20:00 | コメント (0)

2012年07月15日

平成24年7月 九州北部豪雨

 すべては子どもたちのために
 
 九州北部豪雨と子どもたちの幸せとどんな関係?と腑に落ちない思いでしょうか。
 
 大いに関係があります。この北九州の豪雨は自然災害でしょうか。私は人災だと思っています。

 私たちが子どものころは、私が住んでいるこの福島市は人口も十数万人で、国道と言えど幹線道路が縦横にはしり、たまに走る自動車は土ぼこりを上げて走り窓を開けていたら部屋中が砂埃でザラザラしてお掃除はまず始めにはたきをかけて棚の砂埃を払ってからでした。
 大きな商店街もなく、町と言っても駅前通りとすずらん通り(今のパセオ通り)その界隈が町でした。それ以外は田圃と畑で、集落と集落を結ぶ道にはポツリポツリと設けられた裸電球の街灯が物寂しく点いているだけで、夏の夜は蛍狩りや夕涼みの散歩を楽しめました。
 とにかく私たちの住環境は自然が手つかずのままでした。
 雨が降っても田圃に畑に恵みの雨として喜ばれ、暑い真夏日の夕立は乾ききった道路に浸み込まれた水分の蒸発と共に地面が冷やされ一時の涼が楽しめたものです。
 豪雨もその所で地面に吸収され、どぶ川に小川にまとまり大きな川に集まる時点には確かに豪雨だったんだねと思わせる水量にはなっていました、それで何十年か何年かに一度の水害になり全国的にも珍しい歴史に残る洪水災害になることもありました。しかしこの水害も今の河川管理の水準だったらありえない未整備による人災的水害だったでしょう。
 
 昨今の自然災害は、日本国土全体がアスファルトやコンクリートでカバーされ降った雨は地面に吸収されずに排水溝に集められ、地下に張り廻られたパイプにまとめられ、降雨のほとんどの量の雨水が河川に流れ込むために起きているもです。自然災害でなく明らかに人災です。もし、田圃や畑の耕作面積が宅地化されずに取り戻され、幹線道路は仕方ないとして細道や裏通りが土のにおいを復活させ、休耕田が水をたたえる田圃になったら、水による災害は半減するでしょう。

 もう1点、現代の集中豪雨の他に、竜巻や異常気象による冷害や干ばつなど等の災害も、地球の自然を破壊した人間と言う動物のなせる業です。
 長くなるので別の機会に書きましょう。

すべては子どもたちのために

投稿者 femil928 : 19:38 | コメント (0)

脱原発か・原発依存か

すべては子どもたちのために

 福島第1原発の人類史上初めての事故で国土的にも自然環境的にもそして何よりも日本国民にも甚大な傷跡を残し、原発の抱える恐ろしさを全国民が経験して脱原発が国民の総意のように感じられてから1年4か月、国民の多くがあの惨劇を忘れたのか、私的には政府や大企業の作為的操りでマスメディアを通して国民を忘れさせ、日本国経済的の未来永劫な発展のためには原発による電力の確保は欠かせない国策であり、あの福島第1原発の事故は人災であり、人災と言うことは未然にしっかりした対策を講じていれば絶対安全だという、またまた机上の空論で国民の気持ちを、原発は安全なんだ、と思い込ませ原発を守り維持発展させてその利権に群がろうとしているように思われます。
 そして、今では原発依存を徐々に減らすとしても(私の邪推ですが、国民はあと2~3年もすれば忘れてしまい国民の豊かな生活を支えるためには原発にとなるよ)大飯原発を再稼働し、次に柏崎刈羽原発を再稼働と次々に再稼働しているうちに問題は自然消滅的に国民から忘れ去られる。原発の要・不要よりもあの原発事故の責任者は誰だと責任者捜査でもしているほうが無難だし国民もそのほうが楽しいだろうと矛先が変えられつつありますね。

ここで すべては子どもたちのために

 原発事故の原因追及や責任者探しや未然防止のための新たなチェック機構だの委員会などの組織を構築して権威ある有識者の名誉ポストを乱発して形骸化され又は偽証されたレポートの答申に基づいて大企業の思惑のままに原発が再稼働されることはもうたくさんですね。

 子どもたちの明るく安全で楽しい夢ある未来を準備してやることが義務である私たち大人がするべきことは、速やかにすべての原発を廃炉にし、その原発に就労する人たちで水力、火力をはじめ風力、地熱、海流(波)力、そうそう、太陽光発電などの比較的安全なエネルギーを利用した発電事業に就労していただき、(すべての原発の廃炉に伴う原子燃料の安全な処理には新たな問題と莫大な費用がかかり、新たな就労の場もできます)、原発の廃炉に伴う電力不足には私たちの積極的な犠牲、つまり、節電で、ない電力を求めるのではなく使える範囲での使用、または少ない供給電力に対する需要の増加で生じる電力料金の値上げで自ずと生じる節電、24時間営業のコンビや夜空を燃やすピカピカの広告塔など等たくさんの無用な消費を省くだけでも大きな節電になります。

 一人ひとり、一軒一軒、一企業一企業の積極的節電で子どもたちの未来は明るく安全で楽しく夢のある未来になりますよね。

 みんなで脱原発を大きな声で主張しましょう。

投稿者 femil928 : 07:36 | コメント (0)

2012年07月14日

いじめ

 すべては子どもたちのために

 また又、いじめが問題になっていますね。
 いじめ、自殺の問題は今に始まったことではありませんが、子どもに自殺と言う現象が表面化する度に、熱病にでも罹ったように教育界が大騒ぎして、いじめによるこどもたちの犠牲者を無くすために徹底的解明と再発防止策を教育現場に普及させねばならない、と子どもたちを初め、親さん、教師、社会に警笛を鳴らしますが、目まぐるしく次なる問題が発生すると、のど元を過ぎた熱いお茶のように忘れ去られて有耶無耶に。

 皆様はこの世の中から「いじめ」が無くなるとお考えですか。

 私たち大人の世界でも、いじめ(子どもの世界よりももっと陰湿で醜い・・・・)は日常茶飯事に身近から絶えませんよね。私ごとながら私だけがそう思っているだけならこの上ない喜びです!
 私は、この「いじめ」と言う問題は未来永劫に無くなることは、悲しいことですが、絶対ないと空しく思っています。教育の現場にいるもの、大人、社会人として本当に悲しい思いです。
 そこで、私の提案ですが、
 私たち大人を初めですが、特に小、中、高の子どもたちにはいじめと戦う強さを培ってほしいと思います。些細な初めの一寸したいじめのスタートで「いやだ!」「だめ!」「誰々に○○の不当な要求をもとめられた!」等と声を出してもらいたいし、そんな声なき声に耳を傾けられる周囲の大人になりたいですね。何事も初めの対処が大切です。事が大きくなって出したくても声が出せない状態まで放置していては最悪の結果になってしまいます。
 そのような、自分の思いを自分の言葉で表現できる子どもに育むには、幼児期の素直な感情表現をしっかり聞きとめる親さんのきめ細やかな心配りが大切です。また、たくさんの喜びの経験以上に、苦しい、悲しい、空しい経験から立ち直る、喜びをプラスの経験とするならば、苦しみ、悲しみはマイナスの経験と言い換えられますかね、そのマイナスの経験を沢山たくさん経験させて、その苦しみから、その悲しみから逞しく明るく立ち直る経験をさせることです。プラス・マイナスで差し引いてマイナスが多ければ多いほどいじめに対して強い人間に成長します。
 無くならない「いじめ」には逞しい人間形成で立ち向いましょう。

 ここでもう1点是非とも考えて置かなければ成らない事があります。
 それは、「なぜいじめるのか」又は「いじめっ子」の事です。私はどんな子どもでも、大人は時々は別かもしれませんが本質は同じと思いますが、いじめは正しいこと、やって良いこと、やってうれしいこととは思っていないと確信しています。決していじめっ子を正当化しようとしてではありませんが、いじめっ子にもそれぞれの、特にその子の家庭環境に大きな問題を、あるいは些細な問題かもしれませんが、その子なりに抱えて苦しんでいるSOSなのかも知れないことを、私たち大人が社会が聞いてやり話し相手になり解決に導いてやる思いやりも忘れてはいけないと思うのです。

すべては子どもたちために

投稿者 femil928 : 09:41 | コメント (0)

2012年07月08日

生きる喜び・歓び・慶び・よろこび

 すべては子どもたちのために

 2012.7.7 PM3:30~8:40までの5時間10分に渡る長時間「2002、北の国から、遺産・前編」
「2003、北の国から、遺産・後編」がBSフジTVで放映されました。今までに何度見たか覚えていませんが、見る度に心が洗われる思いで、今回も涙が自然にこみあげて画面が滲んでしまいました。

「生きる喜び」


     生まれた喜び
     這えば立て・立てば歩めの喜び
     幼児園、小学校入園、学の喜び
   

「生きる歓び」


     運動会で楽しんだ歓び
        1番にならないとダメ?
     昨日よりも頭がよくなった歓び
        100点じゃないとダメ?
     苦手を乗り越えた歓び      
        一流大学でなければダメ?


「生きる慶び」


     夢のある仕事に就職できた慶び
        一流企業じゃないとダメ?
        高所得・高地位でないとダメ?
     結婚・子ども・家族を持てた慶び
        高学歴・高収入・マイホーム


「生きるよろこび」


     三世帯・四世帯の大家族でのよろこび
        家族ばらばらの各家族・老後の心配
     晴耕雨読の自然の流れに合せたよろこび
     波乱万丈ながら生きてきたよろこび

「生きる」スタイルが様々であれば、「よろこび」にも[喜び]、[歓び]、[慶び]、[よろこび]とあっるものですね。皆様の生活様式に似合いの「生きるよろこび」を考えるひと時、それこそになっていただければそれこそ私の「いきるよろこび」の一つです。   

投稿者 femil928 : 10:11 | コメント (0)

2012年07月02日

受注製造販売

 すべては子どもたちのために
初めに国民ひとり一人に幸せになってもらうために所得倍増を、倍増した所得で貯蓄ではなく消費に向け、安売りに殺到するのではなく、適正価格で適正消費にと書きました。
 適正価格と適正消費とは「需要と供給」とが=(イコール)で成り立つときの状態を言うのですね。
 需要が供給を上回ると商品は高騰し、供給が需要を上回ると商品は下落する、需要と供給がイコールで成立したときに経済は正しいサイクルで営むのですね。これは経済学の基礎の基礎ですものね。ところが、ここに人間の悲しい性「欲」が働くと過剰生産があったり、無駄な買い漁りが起きたり、人為的製品隠しや異常な購買心を煽ったりと不適切な経済活動が原因して物価が不正に操作されて富が不平等に配当され貧富の格差が生じてしまうのです。
 今、自動車や一部高級品は、受注生産と言うシステムが主流で、消費者が購買意志を表示してからメーカーは生産ラインに組み込み生産する。ですから、自動車の価格は値引きや安売りがないのです。私はもっともっと多くの物がこの受注生産方式になれば、商品の価値が本来のそのものの価格として販売され、生産会社はより多くの利益を上げ、不要な生産や多くの在庫を抱えることもなく、それ以上に資源輸入国のm日本国として無駄な資源の輸入も必要なく貿易収支も好転すると思います。
 もう1点、大量生産が抑制されることで、各企業はTV、新聞をはじめとするマスメディアに膨大な広告料を必要とせずにそのお金を従業員に給料の上乗せとして使うことができます。所得倍増にも繫がるし、一方的マスメディアからのコマーシャルによる無駄な消費の抑制にもなります。
 いろいろな面で受注生産が進むことで、正しい経済活動が営まれることで、その結果、すべては子どもたちのためになるのです。

投稿者 femil928 : 16:04 | コメント (0)

所得倍増

すべては子どもたちのために 
  日産自動車のカルロスゴーン社長の年俸は9億8000万とか、年収500万の従業員の200人分、100万円づつ均等に従業員に配当すれば1000人分になります。社長が9億8000万とすれば副社長は、専務取締、常務、部長・・・・・これらのお偉いさん方の総所得を500万で割ったら、100万で割ったら、どれほどの勤労者が年収500万以上に。私が思うのは、富の分配が適切に行われているのだろうかと言う疑問です。これは単に日産自動車だけのことではありませんよね。大小の差はあるでしょうが大企業の総てが、中小企業でも考えられることですよね。まずは、富の分配をもう少し底辺に厚く、働いてくれる従業員が幸せになれば自ずと自分の企業も売り上げが上がって潤うと言う考えに社長をはじめとする経営者が考え方を変えるだけで、所得は1.2~3倍に、いやもう少し増加して1.4~5倍になるかも。この底上げは間違いなく日本国の経済の活性化として現れるでしょう。経済が活発になれば企業は潤い、その潤いを適切に配分されれば従業員の所得はさらに増加し消費に弾みが付き・・・・と活発のプラスのサイクルが日本国民と企業と日本国との間に循環します。
 所得倍増の方法の第1提案です。ひとり一人の経営者が英断していただけるだけで明日にもできる第1歩なんですけどね。すべては子どもたちのために!!!

投稿者 femil928 : 15:28 | コメント (0)

100金(?) バーゲン LCC

前回の「所得倍増」の前にこの文章を公開する訳でしたが手違いで前後しました。今日これを公開しますので読み直していただけたら幸いです。 
すべては子どもたちのために
 所得倍増、2倍増、3倍増は子どもたちが経済的環境でより豊かな生活をしてほしいと言う観点から、国の税収の高額安定確保からの提言です。
 所得を倍増(これからは倍増どころか3倍、4倍を考えていますが、取り敢えず「倍増」と言うことで表記しますが倍増に含まれる願いをくみ取ってください)するには、まず、私たちの給料の基本になる富の分配の適正化を提言しましたが、次に(順序がこれで良いかは別として、しかし、物事にはこの順序が大切なことは重々分かっていますが順序の違いはお許しください)より多くの所得を得るためには、私たち給与所得者はより多くの消費をすべきです。お金のことを「天下のまわりもの」と言われていますが、私たちが消費することで企業が潤い、その富がまた給与の増額に結びつくのですから、給与が倍増されたからとその増額分を不安定な未来の憂いのために貯蓄に回したら、経済は一向に好転しません。その結果は企業が苦しくなり、減給となってまたまた今のような貧富の格差の中で低所得者は日々の生活に苦しみ、約5~6%の富裕層に富が偏ることになります。
 そこで、今、私たちはダイソーなどの「100金」(これで良いのかな、取り敢えずこう表記します)で、バーゲンセールで、LCCなどの格安運賃の飛行機で、これらに似たより安いものを求めて消費していますね。今の経済状況では、ある意味では当然とも言えるでしょうし、消費者心理としては、少しでも安いものを求めたくなりますよね。
 しかし、100金やLCCで働く人々のことを考えてみましょう。100金の商品を作っている人々はいくらで作っているのでしょうね。原価は、第1次卸値は、100金の仕入れ値は、考えたらあの製品の従事者は1個、20円、30円の製品で、その部品を供給する下請けの零細企業では、一桁単位の円で働いていると思います。そこから得た富で・・・・・と言ってもきっとぎりぎりの分配でしょうね。LCCで働く人も、今は就職難の時代ですし、出来立ての会社で、機体も新品ですから、絶対に安全ですし省いているのは無駄で、やるべきことは省かずにしっかりやっていますのでどうぞ安心してご利用くださいと明るい笑顔で応対しています。省ける範囲の最小コストと人件費で営業してもそのうち企業全体が疲れ切って大きな事故に繫がらないとは誰も言えません。
 なぜ、このような経済活動が営まれるのでしょうか。経済の原理は「需要と供給」のバランスです。上記の現象は供給が需要を上回っているからです私は思うのですが、この「供給が需要を上回る」現象が改善されなければ今の日本の経済はよくならないと思っています。3~40年前の物不足の時代は大量生産大量消費で経済は潤ってきましたが、今、各ご家庭では物が有り余っています。もっと良質のものを、もっと価値あるものを、もっと人々が大切に取り扱いたくなるような真心のこもった製品を、適正な価格で取引される、経済活動に改める時ではないでしょうか。このままでは経済活動のみならず私たちの心も貧しくなってしまい、子どもたちに威張れるものがなくならなければと。

投稿者 femil928 : 08:59 | コメント (0)

2012年07月01日

消費税増税

 すべては子どもたちのために
 私はこのブログを更新し続けるに当たり、常にこの「すべては子どもたちのために」と言うことを考えの基本に置き、子どもたちが健全に健やかに夢に向って育まれ、自然豊かなこの日本国を自信と誇りを持って、日本人としての自覚を持って生きて欲しいと言う願いをこめて、そんな日本国の実現のために考えを展開します。
 もう1点、これからの諸々の提言に当たり数値や公的機関名などの表記が行われるでしょうが、それらの厳密な記載には間違いがあるかもしれませんが、正しい数値や名などは皆様で訂正してお読みいただければ嬉しく思います。それらの厳正な表記よりもその底にある私の思いを読み取っていただけたらこの上ない喜びです。宜しくご理解お願いいたします。
 
 そこで本題に入りますが、今、消費税増税が話題になっていますが、この増税の目的は、減少する税収と年金や福祉の社会保障の財源の補充と言う名目で国民の理解を得たいと政府は考えているようですが、この法案が衆議院を通過した途端、景気回復と言う名目で10年で200兆の、または10年で100兆の強靭な国土の建設のための歳出案が提出され、政府は4兆円の整備計画新幹線の新たな着工が発表されました。「コンクリートから人へ」が景気回復のためにまた逆戻りの「人からコンクリート」に成ろうとしています。これでは次の税率アップ、またまたアップと、打ち出の小づちを振るかのように増税が繰り返され、子どもたちの未来にもより大きな借金を積み残して、最終的には制度的破綻をきたしてしまいます。
 これらの危惧を解決するには、第1の、いやいや、この不幸な日本国の救済策の第1歩、スタートは、
国民給与の倍増、3倍増、最低年収500万以上です。
 消費税を5%から10%にしなくても国民の給与が倍増、3倍増、500万以上の年収があれば、国民の消費は倍にも3倍にもなり、消費税収も今の倍、3倍、つまり、現行の消費税5%gが10%に15%になったと同じ税収が、所得税も単純に倍、3倍増になり、40兆しかない税収が、国民の活発な経済活動の結果、倍、3倍、つまり、80兆、120兆の税収が、今の国の予算90兆のはるか大幅の増収が得られ、赤字国債も必要なく、今までに積み重ねられた国の借金の返済にも充てられる、これこそが未来の子どもたちに負の遺産を残さないベスト策ではないでしょうか。
 国民の生活が豊かになればなるほど国は豊かになる、まるで、紀元前3500年頃の古代エジプトの知恵ですね。良いこと尽くめの所得倍増論、所得倍増といえば今から約4~50年前に当時の池田勇人内閣が掲げた国策でした。あの頃と現代は諸々の環境は違いますが、その政策後の日本は、やれ神武景気だ、大和景気だ、みぞうゆう(未曾有)景気だと日本国はわきに沸いた素晴らしい発展期を経験しました。こんなことを書きながら、あの頃の国民たちが夢にむっかて楽しく明るく生きていたことが懐かしく思い出されます。
 さて、国民所得が最低年収500万達成されるには沢山の問題が考えられますね。次回からはそれらの一つひとつについて考察しましょう。

投稿者 femil928 : 08:21 | コメント (0)