2013年01月15日

ちょっと寄り道 2

 ちょっと寄り道 2
 この成人の日を含む三連休、私は、スカパーで『日本で一番長い一日』と遠藤周作の『海と毒薬』の二本の映画を見ました。
 あらすじは、『日本で一番長い一日』は第二次世界大戦の終戦を迎える昭和20年8月14日からよく15日の玉音放送までの、陸軍・海軍・政府内閣と天皇陛下を巻き込んだ(?)ポツダム宣言の受諾についての駆け引きが主題で、その駆け引きによって罪のない国民の尊い命を奪われ国土が焦土化される、戦争とは何なのか?と考えさせられる映画でした。『海と毒薬』ではある医科大学の医学部長の椅子を巡る教授と研究医の権威に連なる冷酷な主従関係、教授の名声のためには患者の命や戦争捕虜の命は虫けら以下、そんな医学界の事実が軍法裁判で裁かれる、しかし、戦後数年の後はそれらの教授をはじめとする関係者は何故か全員無罪放免となる不思議が描かれていました。
 すべては子どもたちのために
 私たちは子どもたちに、いや、すべての人々に平和を指導し、いかなる戦争も許さないと教えているのに、現代社会、この地球上では未だに戦争が絶えません。あの戦争の悲惨さは、その戦争による一般市民の無残な被害は、我が国土では一回も戦争をしたことのない米国が、世界平和のためにとか、悪に対する正義の戦いと称して他所の国に行ってその国土を戦場として一般市民の犠牲のもとに戦争を広げています。
 すべては子どもたちのために
 先日ある報道番組で、司会者がある党首に「地球上から武器弾薬が無くなれば世界は平和になるとお考えですか?」との質問に、日頃から反戦を唱えているその党首はしどろもどろの返事しかできませんでした。『海と毒薬』の教授の「出世欲と良心」、『日本で一番長い一日』の陸海軍の大臣その部下たる将校たちの統制された天皇陛下に対する「忠誠心」、その裏で蠢く「経済力」、これらが無くならなければ『争いごと』その発展形の『戦争』は無くならないのではないでしょうか。
 すべては子どもたちのために
 『良心』『出世欲』『忠誠心』『経済力』これらは人間形成の上では大切な事ですよね。徳川家康の云う、過ぎたるは及ばざるがごとし、なのでしょうね。出世欲も単に自分の中でより良い自分の探求としとればよいものを他人を押しのけてとなるから、しかし、出世とは・・・と考えると。忠誠心も人間社会と云う組織の中で生きるには大切な心構えですね。しかしこの忠誠心も度が過ぎれば命知らずの特攻隊に・・・。経済力もある意味では人間の生きる目標であり原動力ですよね、経済に無頓着でエデンの園のアダムとイブのように無気力では発展は望めません。良心、これは一番難しいものかもしれません。良心とは何ですか?良心の基準ってどこですか?『日本で一番長い一日』の中で、健康な戦争捕虜に麻酔薬を打って生命力の実験台にして殺す場面があり、ある研修医は良心がとがめて苦しむが、ある研修医は「あの捕虜も単に銃殺刑で殺されるよりはこうして実験台になり医学界発展に貢献したと思えば無駄死にではない」と嘯く。これが、この研修医の良心かも知れません。『海と毒薬』の中でも手術の失敗で若き乙女の命を奪いながら、手術の失敗を隠して術後の経過の中で死亡したことにして平然と日常生活を振る舞える神経は、我々には良心の呵責に耐えかねませんが、あの教授にすれば人の命が絶える場面を日常茶飯事に見ていればあれが良心なのでしょう。
 すべては子どもたちのために
 止め処のない話になりました。書いている内にも自分で泥濘にでもはまって行く様な、何処に着陸すればよいのやら???
 続きは又いつの日か心の整理が出来たら。

投稿者 femil928 : 09:45 | コメント (0)

2013年01月11日

教育改革・学育のススメ 7

教育改革 学育のススメ 7
幼児学校での指導上で考慮する点は
 一つは、失敗を恐れずに沢山の失敗を経験させること
  『学ぶ』とは「まねる」ことから始めるのです。他人がやっていることをまねるのです。「門前の小僧習わぬ経を読む」です。一つ、二つ、三つとまねているうちに、立派な経を読むまでになるのです。そこには沢山の間違いや回り道がありましたが、気が付けば習わぬ経を読むまでに成長しているのです。これが『学ぶ』です。
 すべては子どもたちのために
 まねることは時間がかかります。何故なら失敗の繰り返しで一歩一歩進んでは戻り、戻っては進みながら成長するのです。失敗を乗り越えて、諦めずに努力して、初めて自分の力にするのです。これが『学育』です。教育は失敗を恐れて手っ取り早く覚えさせようとするから、落ちこぼれが出たり、「勉強は難しい」と興味を無くす子どもが出るのです。
 すべては子どもたちのために
 教育がもう少し、じっくり、ゆとりを持って子どもたちに施されれば良いのですが、『ゆとり教育の失敗』とかの反省で、またまた詰め込み教育が復活する兆しですが、これは明らかに間違った考え方です。『ゆとり教育』こそが最も確かな教育なのです。
 すべては子どもたちのために
 ゆとり教育とは、時間的ゆとりや教科内容的ゆとりではありません。今回のゆとりの失敗は、この時間と指導内容を削減して、ゆとり教育としたことに大きな間違いがあったのです。本当のゆとり教育は時間も指導内容も削減せずに、じっくり・ゆっくり子どもたちが心ゆくまで、夢中になって学べる環境を提供することだったのです。
 すべては子どもたちのために
 それなのに、週五日制にして子どもたちに「ゆとり」だよ、と学校から放り出した、御免ごめん、言葉が不適切でしたね。放り出しでなく解放ですよね。でも、子どもたちは何をして良いのか判らぬままに連休を遊び惚け、これも御免かな、まぁ許して、指導内容が三割削減ですから学力が低下するのは当然です。
 すべては子どもたちのために
 ゆとり教育だから、つまり、教え・育てる教育だから、ゆとりは馴染まないのです。『ゆとり』は『学育』でなければならないのです。教育では先生の一方的情熱で子どもたちにどんどん教え込まなければ、より良い子どもは育ちません。しかし、ここには落ちこぼれや学業不振、不登校やいじめなどの問題が必ず伴います。
 すべては子どもたちのために
 ゆとり教育の失敗がどこにあったかご理解いただけたでしょうか。
 そして、学ぶことは時間をかけて、失敗を恐れず繰り返し挑戦して成就した歓びを体で感じることだという事もご理解いただけたでしょうか。
 すべては子どもたちのために
 正しい『ゆとり学育』を復活させることも、この教育改革・学育のススメでは提言したいと思います。
 子育ては、例えが適切ではないかもしれませんが、ワインと同じです。じっくり、ゆったり時間をかけて、丁寧に、大切に温かい眼差しと心で待つことです。待てれば待てるほど素敵なワイン=子どもが育ちます。

             続きは次回に

投稿者 femil928 : 09:39 | コメント (0)

2013年01月10日

教育改革 学育のススメ 6

   教育改革 学育のススメ 6

 満2歳になったら始まる幼児学校ですが、この学校の修学年間は個人差が優先します。

 すべては子どもたちのために

 入学判断は、ある程度の身辺自立が出来ているか、善悪の判断が出来るか、そして何よりも、子ども自身が子ども社会を求めているかなどが判断基準になります。
 幼児学校の2,3~4年間では、個人差がありますので就学年齢はまちまちですが、一応満六歳になるまでは幼児学校生です。
 
この学校では、子ども社会で日常の生活を通して、社会性を身につけ、集団の中で自分をどのように表現できるか、集団の中でどうすれば調和できるか、集団のルールに従って自分のやりたいことをどうすれば最大限達成できるか、と云った公衆道徳を学び、と云っても机に向かって学ぶのではなく、遊びを通して、助け合い、教え合い、時には喧嘩をして仲直りする過程で友だちの大切さを学び、憧れや尊敬や労りや優しさを体で現場で自然の中で学び育てるのが目的です。学育です!
幼児学校での最低限取得しなければならない内容は、社会性・公衆道徳・意欲・集中力・創造力・そしてひらがなとカタカナと若干の漢字の読解力です。
 すべては子どもたちのために
 これ等の力を身につけさせる具体的指導方法はいろいろありますが、私は、
 子ども社会を大切にして大人はそっと見守り干渉せず、子どもたちが子ども社会の中で思いっきり自分を出して遊ぶこと、
ではないかと思います。

すべては子どもたちのために

 子育てで一番大切な事は、子ども社会を提供することです。
 私たち大人は、子育て=大人が指導すること、と考えがちです。しかし、子ども社会をそっと見てみてください。そこには立派な兄貴(たまには2~3才クラスの兄貴もいます)、立派な先生役、裁判官、正義の味方(時にはわるもの)もいます。
 大人社会の小型版です。そこの先生は大人の先生ほど理路整然としていませんが、子ども同士にしか通じない言葉で、いとも簡単に分かりやすく教えてくれます。4歳児が2歳児に指導されていることもあります。裁判官も正しく公明正大に正しいは正しい、悪は悪と年齢性別関係なく正しく裁判します。判決が正しいのですからイジケル子どももいなければ心に不満を抱える子どももいません。今流の正義の味方は知りませんが、銭形平次や月光仮面、鞍馬天狗、ウルトラマンが沢山いる子ども社会ですから、賄賂(時にはお弁当で、ある時はおやつを分けてする子も)も、便宜(あることもありますが、その際の袖の下はありません)は直ぐに摘発されて更生させられます。
 すべては子どもたちのために
兎に角、子ども社会をそっと言葉かけせずに鷹揚な目で覗いて見てください。思わず笑ってしまいますよ!

投稿者 femil928 : 10:22 | コメント (0)

2013年01月09日

『教育改革・学育のススメ』 5

 教育改革・学育のススメ 5

 『お母さん学校』では心の優しさ、思いやり、ぬくもりと善悪の判断を体で覚えると書きましたね。もう少し内容に触れておきましょう。
 すべては子どもたちのために
心のぬくもり、優しさは教えて出来るものではありません。
ぬくもりはそのものズバリ体で感じ取るものです。お母さんが授乳するとき胸に抱きしめて、温かいまなざしで見守り、心ゆくまっでオッパイを飲んだ時に、お母さんの愛情を感じとり、お母さんの胸の温かさ、オッパイのあたたかさ、手のひらの心地よさ、お母さんの笑顔の優しさ美しさを感じながらぬくもりを学び、お母さんの優しい言葉かけと口ずさむ子守唄を聞きながら心地よい親子の関係を学ぶのです。
 すべては子どもたちのために
 この教育はお母さんにしかできない教育です。当然ですよね!『お母さん学校』ですものね。第三者には絶対できない教育です。乳幼児施設(この教育改革では在り得ない施設です!)の先生は、私たちは親身になって保育していますから出来ますし、現実にやっています、と云うかもしれませんが、お母さんの我が子に対する愛情と比べたらお母さんの足元にも及ばないはずです。もし保母の先生に負けるお母さんでは考え物ですし、お母さんと同程度の愛情を持って愛情を捧げられる先生が居たらこれは一種の悲劇です。何故なら、お母さんの愛情は、目に入れても痛くない、食べてしまいたいほど愛おしい、言葉は適切ではないかもしれませんが、メチャクチャに我が子は可愛くて愛おしくて、何でも許されるほど、兎に角可愛いのです。その愛情を第三者がやってはいけないのです。
 すべては子どもたちのためにメチャクチャの愛情はお母さんだけが出来る、言うなればお母さんだけに与えられた特権です。第三者には第三者としてやらなければならない愛情があります。それはお母さんと第三者では対応が全然違うのだと子どもに知らしめることが愛情です。それでこそ子どもには母親の愛情の優しさ、温かさが分かり心の基地が出来るのです。愛に満ち溢れた親子関係が出来るのです。お母さん!思いっきり貴女の愛情を我が子にかけてください。一般的常識の限界がありますが、そんなに冷静にならずに貴女の気持ちの許す限り、思いっきり我が子を愛してやってください。それが出来るのもお母さんの特権です。
 すべては子どもたちのために
メチャクチャ愛せる特権ともう一つの特権があります。それは、子どもが良い事をしたらなめるように褒めてやり、しかし、逆に悪い事をしたらお尻や手をしっかり叩いてください。これは俗にいう『しつけ』です。しつけは自我が目覚める前に体で痛みを伴って学ぶものです。幼稚園や小学校では「しつけ」はできません。良い事をしたら褒められる。悪い事をしたら痛みを伴って叱られる。これを子どもに体で学ばせるのが『しつけ』です。服や着物を作る時の『しつけ』と同じです。形が出来上がる前にするのがしつけです。子どもが自我に目覚める前なら(出来上がる前と同じです)叩かれても「いたい!」と感じるだけでそれ以外の何物でもありません。しかし、自我が目覚めると、叩かれると、子どもは「なんでおれをたたくんだ」と時には逆恨みをします。これでは善悪の判断が出来ません。『悪い事をしたから痛い!』『良い事をすれば褒められる!』『痛いから悪い事はしない!』この感覚を学ばせるのが『しつけ』です。
 すべては子どもたちのために
 
ご理解いただけたでしょうか。お母さん学校はその子の基本中の基本『三つ子の魂』を育む、片手間(ごめんなさい、そんな気持ちはありませんよね)に出来るものでは無いのです。お母さん、お宅の可愛い子どもの将来を左右する『お母さん学校』の先生を受け持ってください。
 べては子どもたちのために
一人でも二人でもこのブログを読んで『お母さん学校』の先生になってもらえたら、子どもに代わって感謝の言葉を述べたいです。ありがとうお母さん!!

投稿者 femil928 : 10:14 | コメント (0)

2013年01月08日

『教育改革・学育のススメ』 4

  教育改革 学育のススメ 4

 満二歳になったその日から入学する幼児学校以前は、これも義務学育の『お母さん学校』で学ばなければなりません。しかし、このお母さん学校では学費はかかりません。子どもたちがこのお母さん学校で学ぶことは、人のぬくもりと優しさ、そして、良い事をしたら褒められる、悪い事をしたら叱られる、つまり、善悪の判断力を身をもって体で、本能で、学ぶことだけです。

 すべては子どもたちのために

 ところで、義務教育とは、みなさまはどの様に受け止めていますか?

 義務教育の義務とは、誰を対象にした義務でしょうか?

 きっと、多くのみなさんは、子どもが学校に行く義務だと考えていらっしゃるのではと思います。ですから、子どもが学校に行かないと心配になり、無理矢理学校に行かせ、先生も学校に来ることを強要します。しかし、この義務は子どもを学校に行かせる義務ではありません。この義務は、親の義務です。親が子どもに教育を受けさせる義務です。昔は生活のために、又は生きるために、子どもを学校に行かせず働かせていた時代がありました。貧乏で子どもたちの教育を受ける権利を奪っていた時代には親に教育を受けさせる義務を課したのです。それが義務教育なのです。ですから、教育を受けさせる場所は何処でもいいのです。しかし、教育は系統立てて教えなければなりません、それには学校教育が最適だろうとの考えから学校が各地域に設置され、みんなが学校に通うようになり、義務教育とは学校教育を子どもが受ける義務と解釈するようになったのでしょう。

 すべては子どもたちのために

 もう一度押さえておきましょう。
 義務教育とは、親が子どもに、6歳の4月から15歳のその年度の3月までの9年間、働かせたりせずに教育を受けさせる義務がありますよ、と云う親に対する義務であり、その教育には必ずしも学校でなくてはならないとは定められてはいないという事もご理解ください。

 すべては子どもたちのために

 子どもに教育を受けさせる義務、ですから『子育て』『お母さん学校』も子どもにとっては教育される環境ですので、義務教育の一つであり、最も根底に位置する大切な義務教育の土台です。お母さん学校の先生、つまり、お母さんの腕の見せ所であり、我が子の将来はお母さんの腕に掛かっていると云っても過言ではありませんよ。頑張れがんばれお母さん!!

               続きは次回に

投稿者 femil928 : 07:47 | コメント (0)

2013年01月07日

ちょっと寄り道(金環食・石川達三)

ちょっと寄り道(金環食・石川達三)

 今日、『金環食』と云う昭和50年作の映画を見ました。昭和50年の作品ですのでその当時、若者だったり、世の中の流れが何かおかしいぞ?と思い始めた人の間ではご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますが、今回改めて観て、よくぞ石川達三もあれだけリアルな表現をしたものだと感動すると同時に、石川達三の作品の多くが絶版になっている理由がわかりました。
 『金環食』のあらすじは、昭和30年後半から40年前半、つまりあの総理からあの総理の頃、ダム建設を巡る政界と大企業と官僚間で起きた闇取引とそれに伴う莫大な政治献金と金権に群がる役人同士の醜い戦いが、当時の時代が分かる私たちには、あの総理は誰で、あの大臣は誰々で、あの企業はどこそこで、その裏で操っているボスが誰でとわかるだけに、石川達三の勇気あると云うか無謀な反社会的挑戦に驚くばかりでした。
 すべては子どもたちのために
 この映画を見ていて、本当に、これだけ政治と企業と官僚が『金』と云う魔物の虜になって自分の私利私欲に自分の立場もプライドも教養も理性もかなぐり捨て去り、振る舞うことができる人間にしたのは何なのだろう、と考えさせられました。
 すべては子どもたちのために
 この腐敗しきった社会を治すには・・・・。政治家を治す…無理だよね!官僚の根性を治す・・・・これも無理だよね!癒着する大企業の体質を治す・・・・これまた利益を追求する企業としては絶対に出来ることではありませんよね!
 すべては子どもたちのために
 世直しの特効薬は?絶対にありません!出来上がった政治家には無理!官僚には無理!企業家には無理!となれば残る解決策は、これからの日本国を担う子どもたち、この子どもたちを人間として正しく生きることのできる知性溢れた・理性を持った立派な日本国民に育てることが一番の近道ではないでしょうか!
 すべては子どもたちのために
 『国家百年の計は教育にあり』正しく子どもたちの教育を真剣に改革することが、未来永劫に国民全員が幸せに暮らせる日本国を取り戻す、そうです!取り戻す確かな道ではないでしょうか。
 すべては子どもたちのために
 と書きますが、すべては子どもたちのために、とはその先には、すべての日本国民の幸せにつながり、それは世界平和、人類社会の人間らしき幸せの実現につながると確信しています。
 今年度のブログ『教育改革・学育のススメ』が世直しに一石を投じることが出来れば、一歩だけ子どもたちの幸せが近づくことを願って最後まで続けたいと心を引き締めました。
       次回は本題『教育改革・学育のススメ』に戻ります。

投稿者 femil928 : 19:14 | コメント (0)

2013年01月03日

教育改革 学育のススメ 1を再アップ

 教育改革 学育のススメ  1

2013年、巳年、明けましておめでとうございます。
 新年、元旦、よぉ~し!今年こそがんばるぞ!!
と例年、気張るのですが、気が付いてみると・・・・。
 でも!でも!でも!今年は今までとは違う一年にするぞ!!

 すべては子どもたちのために

 そうです!今年はいつでもこの『すべては子どもたちのために』を忘れずに、子どもたちに『素敵な未来』を提供するために、私たち大人ができることを積極的に考えたいと思います。

 すべては子どもたちのために

 今年は『教育改革 学育のススメ』と云う題でこのブログを展開したいと考えています。

 まず、なぜ『教育改革』なのか、について書きましょう。

 一千兆円もの借金を抱えた日本国を再生するには今までのような政策では解決は難しいと思います。相当の荒療治をしなければなりません。何か一つを改善しようとすればいろいろな法律や条例などで規制され、その規制を緩和するにはまたまた今までの慣例が邪魔して、結局のところは何も改善できないのが現状です。
 今回の教育改革も今までの制度を尊重しながら改善しようとすれば、何一つ改善できません。ですから、『教育革命』とすべきでしょうが、現行の教育制度にも良いところが沢山ありますので『教育改革』と位置づけしました。でも、法律や条例などで規制される改革はそれらを無視して論を展開しますのでその点をご理解いただければ幸いです。

 すべては子どもたちのために

 もう一点この論を展開するにあたり公序良俗的に如何なものか、例えば、生活保護の廃止などの過激な表現があるかもしれませんが、大局的観点からのオーバーランと受け止めていただければ幸いです。しかし、このオーバーランが出来なければ改革も儘ならぬ事項であることもご理解くだされば幸いです。

 まず初めに、六・三・三・四制の改革について始めましょうか。
 現行の学制は小学校六年、中学校三年、高校三年、 大学四年とし、小学と中学の九年間を義務教育期間としていますね。
 これを、四・四・四・四・四制にして、この二十年間を義務教育期間にすべきです。

         続きは2日の「教育改革 学育のススメ 2」に続きます。

 この文は2013年の年明け早々にアップしましたが、私のパソコン操作ミスでアップされていませんでしたので今日改めてアップしました。ブログのアップ順が前後しますが宜しくご理解ください。

投稿者 femil928 : 09:22 | コメント (0)

教育改革 学育のススメ 3

教育改革 学育のススメ 3

 子どもは満2歳までは母親の下で育てます。
 どの子も、だれでもが母親が育てます。
 
 ごめんなさい!学費が問題ですよね。大学まで義務学育では家計が成り立ちませんよね。ご心配いりません!教育改革です。ですから子どもの学育費は義務学育期間中は全額国の負担です。後でも書きたいと思いますが、国の仕事は外交と医療と学育の三部門で、その他の省庁は地方に分権するか又は廃止して、医療と学育に国家予算の九割ほどを向けるようにします。小さな国家で十分です。諸々は各自治体にまかせるのです。詳しくは又の機会にしましょう。
 学費は全て無償ですからお母さんが働く必要はありません。今までのお母さんのお仕事は、お父さんにやってもらいましょう。浮いた、お母さんに支払われていた給与はお父さんに増額しましょう。。結婚してお子さんが生まれるまではお母さんの力も社会に貢献してもらいますが、子どもが生まれたら学費の心配をせずに安心してのんびりと、しかし、日本国のためにはとっても尊い「子育てと家庭を守る」仕事をしてもらいましょう。子育て期間が過ぎたらお母さんの希望があれば無条件で職場復帰を認めるようにしましょう。

 すべては子どもたちのために

 国の世直しです。教育改革です。規制がどうのこうのではありません。
『国家百年の計は学育にあり』です。
 子育てに国がいくらかけても、その見返りは何十倍にもなります。
 お母さんが待つ温かいぬくもりのある家庭で育った子どもたちで満ち溢れた日本国は世界が羨む、ブータン王国にも負けない世界で一番幸せな国になります。
 
 すべては子どもたちのために

 お母さんが専業主婦になり子育てに専念することは決して性差別や男女共同参画社会に反することではありません。むしろ、お母さんの権利を尊重し、お母さんの力を認め、子どもに代わってお願いしたいことです。学校が終わって誰もいない我が家に帰る子どもの気持ちを読み取ってください。忙しく働くお母さんとの会話もできない子どもの寂しさを感じてやってください。

 すべては子どもたちのために

 お子さんが義務学育の期間が過ぎるまで、大切な、大切な、我が子!日本国の宝である貴女の、我が子の養育を心行くまで楽しんでいただけないでしょうか。学費は一切心配いらないのですから、是非ぜひ子育てに貴女の力を向けていただけないでしょうか。

 すべては子どもたちのために

 学費の心配、お母さんのご理解がいただけたとの前提の上で論の展開を進めたいと思います。

 明日から三泊四日の蔵王スキー合宿に行きますので、続きは次回に

投稿者 femil928 : 09:03 | コメント (0)

2013年01月02日

教育改革 学育のススメ 2

教育改革 学育のススメ 2

 義務教育、四・四・四・四・四制とは、幼児学校四年、小学校四年、中学校四年、高等学校四年、大学四年の二十年間です。

 すべては子どもたちのために

 どの子も、満二歳になったら義務教育がスタートします。

 その前に『教育』と云う言葉を使うのを止めましょう。
 教育と云う言葉には言語的には素晴らしい意味合いがあるのですが、一般的に教育と云う言葉には、『教え育てる』と云う意味合いがあります。つまり、教え育てることが教育と受け止められやすいと思いませんか。
「教育する」と云うと、先生や年長者や先輩が生徒や若輩者や後輩に、教えて、育てるという関係が成立し、先生と生徒の上下関係、主従関係、教える立場と教わる立場が出来てしまいます。その関係には先生が主導権を持ち生徒は従わざるを得ない立場が出来上がります。生徒が分からないのは、教育されていないから、先生の指導が悪いから、生徒の求める内容と関係ない内容が指導されるからと先生の責任に転嫁されがちです。先生側から見れば、あの子は理解力が無いから、日頃の学習態度が悪いから、家庭学習をしていないから等と。
こんな先生と生徒の関係だから、熱心な先生の指導が実を結ばず、生徒の向学心が育たないのです。
教育の代わりに『学育』と云う言葉にしませんか。
学育とは、学び育つという意味合いの言葉です。私が創った言葉です。
この学育では、学ぶも、育つも本人です。つまり、先生も生徒も学ぶ本人であり、育つ本人です。出来る出来ないも本人の問題です。生徒は出来ないのは自分の努力が足りないことを反省し、先生は生徒がつまずく原因がどこにあるかを学び如何に助言すればよいかと育ちます。昔の、吉田松陰の松下村塾や福沢諭吉の慶応義塾も大隈重信の早稲田もみんな学育の場でした。松陰も諭吉も重信も何も教えませんでした。塾生は自らの向学心に沿った学問を自学自習して解らないところを塾頭に聞き、塾長に相談するだけ、吉田松陰は年柄年中酒を飲んでごろ寝をしていたとか、それでも多くの明治維新の志士を育てたのです。これこそが本当の学問の場ではないでしょうか。

すべては子どもたちのために

これから、極力「教育」の文字を使わずに『学育』を使いますが私の気持ちを汲み取っていただけたら嬉しいですね。

さて、四・四・四・四・四制の義務学育の本題ですが、明日に書きたいと思います。

         明日もお付き合い下さいね。

投稿者 femil928 : 07:46 | コメント (0)