2014年01月26日

ユートピア 『法律』 2

 モンテスキューが説いた『法の精神』における法律の意義・概念は前回に書きました。モンテスキューは強者から弱者を守るために法が必要だと説いているのに、現行の法はどうだろうか?

 確かに弱者を守るための法律があることはあると言えますが、法律の条文を見ると、「・・・・・をしてはいけない、違反者は・・・・・の刑を科す」と言った類の罰するための法律がほとんどです。そして、次から次と制定されてくる法律は、その前の法律の不備を補てんする法律や、法の網をすり抜けて行われる悪事に対応するよりきめ細かな法と言った具合に、法が法を取り締まり、その法をより厳しく取り締まる法が・・・・・と言った具合。

 今や大げさな不謹慎な表現と御叱りを頂くでしょうが、守るべき法ではなく、『すり抜ける道を指導する法』つまり、これとこれは法律で縛られるから、これには法律が定められていないから・・・・。と言ったように犯罪者はより巧みに法の抜け道を駆使して複雑な犯罪を犯すようになりました。

 法律はどうあるべきでしょうか?

 極論になりますが、我が国は『憲法』と言う立派な日本国民として心の支えとなる約束事があり、そこには私たちの最低限且つ最大遵守すべき基本が網羅されていると思います。その憲法の細かい点を補足するために法律があるわけですから、補足は止めて、つまり法律の制定は止めて、また、今までに公布されている法律も緩和して、法律の条文はただ一つ、現行のように国民の多くが理解していない巨万の条文から、ただ一つ、国民全員が知っている条文ただ一つにすべきです。

 明るい社会を築こうとして制定された法律が次から次と制定されても犯罪は無くならず、前記したように法と犯罪はイタチゴッコ!なぜ、犯罪は絶えないのか?突き詰めれば国民一人一人の問題ですよね。国民一人一人が悪い事はしませんと自覚すれば、そして、悪事を行わなければ法律は不要になります。

 『悪事を行わない国民』そんな国民にするには【学育】しかありません。

 話がちょっと逸れますが、教育と書くべきところを【学育】と書きましたが、私は現代の子どもたちが抱える多くの問題の元凶は教育にあると考えています。大切な問題ですので後でしっかり書きたいと思いますが、取りあえずは学育の部分を教育と置き換えてお読みください。

 つまり、【学育】で自ら学び考える、そして、自ら育つ人間に国民がなれば、何が良い事か、何をしてはいけない事か、どのように対処すれば良いかを考えて行動できる人間に育てるには【学育】しかないと思います。夢物語で実現不可能で時間が掛かると一蹴されるかもしれませんが、【国家百年の計は学育にあり】と言われるように確実な改革の道筋です。

 学育で育った国民が、『憲法』と言う心の拠り所に従って行動する時の規範は何か?言い換えれば今の法律に変わるものは何か?という事ですが、
 日本国民のただ《一条の法律》は
  憲法の精神を尊重し、人間としての理性に基づいて行動しよう。
これだけで充分でしょう!憲法の精神に基づいて人間としての理性があれば、犯罪は無くなります。少なくとも今の半減、いや、四分の一ぐらいに犯罪が少なくなります。でも、四分の一とは言え犯罪が・・・・と言われるでしょう、本当に欲望を持つ人間の悲しい性ですね、そこで、もう一条の法律が必要になりますかね、それは、悲しい事ですが罰則を事前に決めなければなりませんかね。
 日本国民の法律第二条は、犯罪者に対して初犯者は厳重注意、再犯者は懲役五年の収監、再再犯者は死刑も含む厳罰。ぐらいの厳しい罰則条項で良いかな?

 長々と書きましたが、結論は、いくら『法律』を制定しても犯罪は無くならず、法律で国民を統率するには無理があるなら、一層、国民の学育をしっかりして、理性ある国民にすることが国民の治安を守る近道だと思うのです。これが、私が考える『ユートピア』です。

投稿者 femil928 : 09:54 | コメント (0)

2014年01月25日

ユートピア 『法律』 1

 前回まで書いた『憲法』はこれからも必要に応じて考えを書いて行きますが、今回は『法律』について書きたいと思います。

 皆様は『法律』とはどのように受け止めていますか。法律とは従うもの、法律の基に行うもの、法律を守らないと罰せられるもの、など等と規制や罰則が文章化されたものと受け止めていませんか。確かに現代社会のように乱れてしまった世の中では、法律によって人々の行動を抑制しなければ、歯止めを失った貨車の暴走を止める事が出来ませんよね。

 しかし、本来の『法律』とは、皆様もご存じのように、裁判所や法律に関したもののシンボルマークは【天秤ばかり】が書かれていますよね。つまり、「法律とは世の中の如何なるものも法の下には平等ですよ」と言う事を表しているのです。また、モンテスキューの書かれた『法の精神』では、法律とは弱者を強者から守るために結ばれる約束事だと云った趣旨が書かれています。つまり、法律は強い者が弱い者をいじめてはいけない、その約束の下では誰もが平等だと言う意味で【天秤ばかり】がマークになっているのです。

 現行の『法律』はこの『法の精神』からは大きくかけ離れてしまいました。と言うよりもむしろ本末転倒して、弱者救済(いやこの救済の発想が法を歪めている元凶だと私は思います。)と言うのか弱者保護よりも権力者の都合の良い約束事を法律として制定し、強者の利権を守り、弱者に強制的に従わせるような法律になっていると思いませんか。先般制定された『秘密保護法』などはその良い例でしょうね。

 日本国では三権分立と言って、国会と政府と裁判所がそれぞれに立法権、行政権、司法権を持って相互にチェック仕合ながら国政を営んでいる事は皆様もご存じでしょうね。ところが、立法権を持った国会では一国会開催期間に何百もの法律を制定しています。六法全書も理解できないのに、次から次と湯水のように法律を私たちの社会に押し付けて、法治国家とは言え何が何だか分かりませんよね。挙句の果てには何だか分からないけど法律でそう定められているから従わざるを得ないよねと分けの解らぬ法律で私たちは縛られているような気がします。

 今、私たちが何かをしようと思っても何十何百の法律の規制をクリアしないと出来ない社会になってしまいました。

 モンテスキューは何とおっしゃられるでしょうかね?

投稿者 femil928 : 11:17 | コメント (0)

2014年01月24日

入園は何時から?

 入園でお困りの多くの皆様は、『何歳になったら入園したらいいのか?』とか「三年保育かな?二年保育かな?』(流石に一年保育と言う方は極稀になりましたね)と言ったように入園の時期でお困りになられているのではないでしょうか。

 私は、入園の時期は【お子様の育ち】で考えるべきと思っています。

 桜の四月に、満何歳だから何年保育入園
 春間近の三月に、次は小学校に入学だから卒園

 これが今の子どもたちにおかれた学年的一年であり、多くの皆様はこれを基準に入園を考えていると思います。確かに満六歳の三月に『卒園』して、春四月に六歳で入学する、これは、現代の学校教育法に定められているので、特例を除いて従わなければなりませんが、幼児期の就園開始時期については特に定めはありません。
 
 一般の幼稚園の例で考えてみましょう。
 その年の4月1日の時点で5歳の子、つまり4月2日生まれの子から、次の年の4月1日に生まれた子までの、一年間の子が同じ年長さとして入園するのです。と同じ判断基準で年長さん・年中さん・年少さんに分かれて保育が始まります。
 いかがですか?育ちの中で一年間のギャップがある集団が、早い子は歩き回っている時に「オギャー」と生まれた子が一緒!早い子が腕白盛りの、お絵描きしているのに、一年遅れの子はやっとハイハイして「ウマウマ」。六年間経ったとしても遅い子は五年しか生活経験が無いのです。

 この一年間!私たちや20歳、30歳以上の人間にはどうといった問題ではありませんが、5~6歳、4~5歳、3~4歳と年齢が下がるほど一年の重みは大きく違います。

 幼児期の【育ち】を考慮したクラス編成が大切ですよね。それと同時に入園の時期も一人一人の子どもの【育ち】に合わせて受け入れるべきではないでしょうか。

 私たちエミール幼児園では、
  入園日=お宅のお子さんが友だちを求めるようになった時が入園日
  クラス編成=オープンクラスつまり園児全員が一つのクラス
 
 と考えています。年齢は何歳でも良いと考えています。入園する時期も三月でも六月でも十月でもお子さんが友だちを求め、お父さん・お母さんが良しと判断された時が入園時期と考えています。ひとり一人の育ち方が違うのですから。

 皆様、お子様の【育ち】はひとり一人みんな違います。子どもの【育ち】はその子の置かれた環境で形作られます。【育ち】に早いも遅いもありません。貴方のお子様は貴方の判断でお決めください。

 いつでもお待ちしています!
   遊びに来てください!

投稿者 femil928 : 18:16 | コメント (0)

2014年01月18日

お子様の入園にお困りの方へ

 『三つ子の魂百までも』との諺がありますね。

 その通りです!私たちの今の性格や習性は大げさに言えば三歳までの育まれた環境によって全部が決められているのです。つまり、幼児期の育て方によってその人の将来が確定すると言えるのです。根気よく最後まであきらめない性格も、逆に、すぐに諦めてしまう性格も、何事にも興味を持って学ぶ力も、すぐに他人に頼って教えてもらおうとする性格も、きれいなものに感動し他人に思いやる優しさも、我がまま放題に身勝手に振る舞う性格も、善しに付け、悪しきに付けその人の性格の原点は三つ子の魂として形成された結果です。

 子育ては楽しい仕事ですが、難しい仕事でもあります。

 大切な幼児期の学育(エミール幼児園では「教育」と言う言葉の代わりにこの『学育』と言う言葉で表します)には正しい環境を整えてやらなければなりません。上記した内の良い性格を育むためには良い環境が大切です。幼稚園ならどこでも良いという事では無いと思います。それぞれの幼稚園にはそれぞれの、建学の理念・信念・指針があり、理想とする子育て像があると思います。それらの理念・信念・指針等をしっかり確認して、大切な我が子の『育てを託すに値する園』かを判断して、園を選ぶべきと思います。

 あの園は何々を教えてくれる!あの園は何々を指導してくれる!あの園は親身になって子どもを守ってくれる!あるいは、あの園の制服が可愛らしい!隣の子が行っているから!我が家の近くだから!自分の職場の近くだから!等と言う判断基準で貴方の大切な宝『我が子』を安易に決めていませんか?

 子どもは育て方ひとつ!育つ環境一つ!で大きく違います。正しい判断のもとに正しい園に入園できればこれに超したことはありませんが、万が一そうでなければ、お子さんのたった一度の幼児期は取り戻しが出来ません!

 本当の、正しい幼児期【学育】を私たちエミール幼児園では行っています!

 今からでも遅くはありません。何時でも皆様のご希望に応える『エミール幼児園』を準備してお待ち致します!園を決めた人も、どうしようかなと思い迷っている方も是非一度見学を兼ねて遊びにいらっしゃて下さい。心からお待ち致します。

投稿者 femil928 : 20:10 | コメント (0)

ユートピア 『憲法』 2

 日本国憲法について、一条、一条を検討するには、当然ながら私には無理な事ですが、私は、憲法とはあその国の根幹となす基本的約束事であると思っています。そういう意味で現行の日本国憲法は、平和憲法であり、国民主権の憲法であり何ら問題は無いと思っています。改憲論者は口を開ければ、「もし他国から攻められたら今の憲法では我が国は守られない!」と戦争ありきで、その時のために最低限の国防をと論じますが、前回も書きましたようにこれから我が国が戦争に巻き込まれるときは、一瞬にして地球が破滅する地球最後の日です。そんな時のために何千億・何兆円を投じて備えた軍備品は役に立たずに、何千万年もの未来にその時に地球上に生存する生物に「何千万年も前に地球上の日本と言う国に生存していた人間と言う愚かな動物が一部の人間の私利私欲のために開発した原子爆弾と言う爆弾で自分たちの生命を滅亡させたのがこれらの武器弾薬だよ」と歴史の時間に教材にされるだけでしょう。
 これからは絶対に戦争はあってはいけない物です。戦争はさせてもされてもいけません。
 戦争を無くすには武器弾薬を持たないことです。
 トルストイの『イワンのばか』です。憲法を改憲して軍備で武装して張子の虎のように威嚇すれば戦争は回避できません。ガンジーのように、マンデラのように、イワンのように生きている事その生きているその事に生きる歓びを感謝して生きる事をみんなが行えば武器も弾薬も要らないのです。
 憲法はそう簡単に改憲したり、作り直したりせずに、そのためにも改憲のハードルは高ければ高いほど良いと思います。憲法についてはこの辺にしておきましょう。

投稿者 femil928 : 13:29 | コメント (0)

2014年01月13日

ユートピア 『憲法』 1

 現政権は数の力で、憲法改正又は憲法の解釈の方便を突いて集団的自衛権だ、有事における自衛力の増強だ、改憲する為のハードルを下げるべきだと云々、挙句の果てには、半世紀以上も他国(米国でしょう)に押し付けられた憲法を守り、自国が策定した憲法を持っていない国家が、この地球上で日本国を除いてどこにあるか?憲法文面の助詞の使い方や文の構成が日本人には馴染めない文で、少なくともこの面からでも改憲すべきだ。と嘯く改憲論者もいます。
 先日ある改憲論者が、「万が一、中国が尖閣諸島に侵入して中国と戦争になったら米国は日本国を守ってくれると思いますか」との問いに、「米国は、国益を考えた時に日本を守るより13~4億の民が居る中国に味方した方が得策であり、そもそも米国は信じられない国だ、だからこそ自分の国は自分で守れるだけの防衛力を備え、法的にも憲法を改正して自衛できる法整備を整えるべきだ」と言っていました。米軍基地が沖縄の地に展開されている理由には、『いざ!』と言う時の即戦力であり、抑止力であると言っていながら実情は果たして如何なものか?疑問視されます。また、「中国は尖閣諸島を領土にするために日本国に宣戦布告すると思いますか?」との質問に、「中国がそもそもあんなチッポケな島の一つや二つのために戦争するほど無知じゃないでしょう!」と一笑していました。憲法改正の理由として、万が一我が国が他国から攻撃を受けた時のために軍備を頑強にして自力で守るために改憲すべきと言っている事と、矛盾していますよね。
 それに、改憲論者のご意見に五十歩、九十九歩譲っても、これからの社会で戦争が、世界戦争規模の戦争が起きる事は人類史上では、何時かは分かりませんが、愚かな、たった一人の気違い大統領が核兵器のボタンを押したその時に開戦して、ものの2~3日で世界中はプルトニュウムで汚染されて終戦でなく、地球の破滅・人類の滅亡で、世界中が墓場の荒野になる事でしょう。空母を何隻持って、地対空ミサイルを何基持って、兵隊は狙撃銃を待って敵に立ち向かい、我が本土を守るために等と、増強された軍備品を使う間もなく地球は滅びてしまうのです。
 ですから、世界戦争はあと一回です!
 でも、各地の小競り合いの戦争は、『死の商人』たちが暴利を貪るために、為政者が利権に肖る為に、そこの住民やその国の国民が何千人死のうが、軍事産業が滅びるまでコツコツと続く事でしょう。
 軍事産業が存在して、そこで働き生計を営む人がいて、ノーベルが発明した爆薬が莫大な利益は産んで、ノーベル平和賞が続く限り戦争は絶えないでしょう。
 でも、でもですよ、世界大戦に備えた軍事予算は、張子の虎のための装飾費は、税金の無駄遣い以外の何物でもありません。その税金を教育に医療にインフラの整備保全に、間違ってもコンクリートや乱開発による自然破壊に使わないで、国民の幸せのために使ってもらえたら。
 そんな訳で、憲法は、今の『平和憲法』をいじる必要はないと確信しています。むしろ、もっともっと憲法の趣旨を正しく理解して、その精神を大切にした政治に心がけるべきではないでしょうか。憲法の隙間を見つけ出して、紆余曲折な屁理屈的解釈で、私たちのこの平和な日本国を右翼化させないためにしっかり、もう一度『日本国憲法』を読み直したいものですね。

投稿者 femil928 : 14:02 | コメント (0)

2014年01月11日

ユートピア 『愛』 4

 前回までは『愛国心』『祖国愛』や『郷土愛』と精神的愛について書きましたが、今回は精神的と言うよりももっと具体的な身近の愛『家族愛』について書きたいと思います。
 息子の大学で政治経済学と言う講座で、高度成長は持ち家を推奨し各自がそれぞれの部屋に生活し、各自の好みの番組を視聴し、外部との連絡も各自の携帯電話で連絡を取り合い、家族と言っても一つ屋根の下で暮らしているが会話も無く生活サイクルもバラバラで、家族崩壊のような状態になってしまった、との内容の講義がされているとのこと。
 いかがですか?
 皆様のご家庭では会話がありますか?
 食事は家族そろって食べていますか?
 家族団欒の一時をみんなで過ごしていますか?
 おじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らしていますか?
 人は一人では生きて行け無い動物です。また一人で生きるという事は人間としてとってもさびしい事です。それなのに現代社会は結婚年齢が高齢になったり、結婚なんか面倒だ!独りで気楽に好きな事をしている方が良い!老後は老人ホームにでもっ入れば・・・と!と家族を持つ事すら否定的に考える若者が増えています。
 なぜ?こんな若者が増えたのでしょうか?
 先ほどの大学の講座ではありませんが、今時の若者たちには『家族愛』の生活が希薄になってしまったからと言い切れなくもありません。一家団欒の楽しみの経験も無く、テーブルを囲んで日常の出来事に会話が弾んだ経験も無く、勉強に、塾に、習い事に振り回されてのんびりと家族と過ごす経験も持っていない若者たちですもの!
 家族があってこそ私が居るのです!みんなと居るからこそ生きる歓びが持てるのです!
 今や老人ホームが大繁盛です。
 そこに入所している人たちは誰ですか?
 きっと!おじいちゃん・おばあちゃんでしょうね。中には前記したような一人暮らしを謳歌して気が付いたら老人になってしまった、私から言わせれば気ままな・身勝手な・人迷惑な老人でせいぜい高額な入所費を巻き上げてやって欲しいと思いますが、そんな不心得な人でなく、おじいちゃん・おばあちゃんと呼ばれる人が何故老人ホームに入所しなければならないのでしょうか?
 確かにそれぞれの家族にはそれぞれのご事情はあると思いますが、自分を産んでくれたおばあちゃんであり、自分を育ててくれたおじいちゃんではないのでしょうか?
 人間愛の根底にある、一番大切にしたい、いや、一番大切にしなければならない『家族愛』が、豊かな経済発展と言う間違った隠れ蓑に隠されて失われていくことは、経済発展以上に築き上げなければならない人としての根本精神ではないでしょうか。
 お金で買えない物、何処にも売っていない物、誰も恵んでくれない物、自分たちひとり一人が心から気づいて努力して、そう、正しく努力して創り上げなければならない物が『家族愛』です!

投稿者 femil928 : 13:55 | コメント (0)

2014年01月09日

ユートピア 『愛』 3

 前回は『祖国愛』『愛国心』について書きました。
 今回は『郷土愛』『自然愛』について考えたいと思います。
 私たちの子どもの頃、学校で歌う歌は文部省唱歌と言って、
♪ うさぎ追いし かのやま こぶな釣りし かの川 ♫
♫ 菜の花畑に 入り日うすれ 見渡す やまの~は ♬
♬ 春の小川は さらさらゆくよ きしのすみれや れんがのはなに ♪
♪ 蛍の宿は かわばたやなぎ ♪ ♫ そろたでそろた さなえがそろた ♫
など等、今も四季の季節を口ずさみながら美しい絵と共にわが故郷を懐かしく思い出します。ひとは単なる郷愁と笑われるかもしれませんが、確かに私の郷愁かも知れませんが、私にはそんな『ふるさと』があり小川でフナ釣りをしたり、夏の夜には浴衣姿で蛍狩りをしながら夕涼みを楽しんだ思い出がありますが、今の子どもたちにはどんな『ふるさと』があるのでしょうか?
 故郷があるという事は心の基地があるという事ではないでしょうか!その基地が美しく優しい思い出の中にあれば、その人は何時でも癒されるのではないかと思います。その心の安らぎがゆとりをもたらし共存共栄の助け合いの思いやりにあふれた社会を構築するのではないでしょうか。
 『故郷』を大切にすることは自然を大切にすることであり、郷土愛に繫がります。
 原発事故で汚染されてしまった私たちの『故郷』ですが、単に原発事故のみならず、乱開発や、持ち家の普及や、一部の人には欠かせないインフラ整備かも知れませんが、ムヤミヤタラに田畑をつぶして道路を作り、コンクリートの器を作り、地球温暖化の原因を助長しています。
 道を切り開いたり、コンクリートの器を造ることを止めて、不要になった建物は解体して、自然の地球を復活させる時が来ているのではないでしょうか!
 農耕地がどんどん宅地化されて、地面がコンクリートで覆いかぶされたために、豪雨は一気に川に集められ水害になり、昔なら田んぼや畑が吸収してくれた夏の猛暑もコンクリートを焼き焦がしヒートアイランド現象で異常な猛暑を引き起こしています。
 郷愁と一笑せずに、もう一度、あの『故郷』を取り戻しませんか!いつの日か子どもたちが郷愁の心で自分の故郷を懐かしむことのできる故郷創りこそが『郷土愛』であり『自然愛』と思っています。

投稿者 femil928 : 10:33 | コメント (0)

2014年01月08日

ユートピア 『愛』 2

 前回は国土愛で『日の丸』について書きましたが、
 ソチ・オリンピックが近づき、サッカーのワールドカップも今年はありますね。これらの国際大会では開会の時や優勝すると『日の丸』が掲揚され、『君が代』が斉唱されますね。
 この時に私は何時でも不愉快になります。皆さんもテレビの画面を見ていて感じませんか?
 日の丸が掲揚され、君が代が吹奏されているのに、当の選手たちは、フラフラして下を向いたり隣同士で話をしていたり、君が代も歌わずに・・・・・。選手一人ひとりの心情や主義がるのでしょうが、少なくとも国際大会に日本国の代表選手として参加している以上は、多くの他の国の選手のように、胸に手を当て(そこまでは・・・)、国旗に向かい国歌を斉唱すべきではないでしょうか!
 しっかり歌いなさい!まじめに国旗を見なさい!と命令したくはありませんが、日本国民として生まれ、この素晴らしい自然と文化に育まれ、努力を認められて日本国の代表に選ばれたことに自信と誇りを持って参加して欲しいと思うのは無理な事でしょうか?
 きっとこの選手たちは、『愛国心』と言う教育を受けていないからではと、ある意味で同情の念すら感じます。戦後教育では日の丸・君が代は否定されてきました。何故なら日の丸・君が代は軍国主義・帝国主義につながる。戦争に子どもたちを行かせないために、平和教育を育むためにはと。
 確かに!絶対!戦争は許されません!いかなる国の為政者も異口同音に『戦争は許されない!』と言っていますが、世界中では戦争の絶えない時はありませんね。挙句の果てには為政者は、「平和を守るための戦争」だと言って各地で戦争を正当化して多くの罪のない人々を苦しめたり、我が国の為政者は『積極的平和』のために、集団的自衛権や憲法九条の解釈にご都合主義を取り入れて改憲を目論んでいます。
 話が少しそれてしまいましたが、日の丸・君が代イコール軍国主義と言った短絡的な考え方はもう止めませんか!もっともっと純粋に、日本国の国旗は『日の丸』国歌は『君が代』と受容して、子どもたちに純粋に国土愛の精神を育んでやりたいと切に願っています。そして、いつの日か私たちの子どもたちが胸を張って誇りを持って日の丸を掲揚し、君が代を大らかに斉唱することが当たり前の日が来ることを夢見ています。

投稿者 femil928 : 09:56 | コメント (0)

2014年01月07日

ユートピア 『愛』 1

 子どもたちの希望と夢に満ちた未来を考えるにあたり、まず第一番目に考えたいのは『愛』という事です。
 『愛』の中でも、祖国愛と言うか、愛国心と言うか、私たちはもっともっとこの日本国を愛するべきではないかと思います。こんなことを書くと、君は軍国主義者か、とか、右翼的だとかと言われがちですが、そんな短絡的な考え方は止めて、純粋に、自分が住んでいる日本国そのものを『愛』したいと提言しているのです。
 私たちが生きているっこの日本国は、四季折々の自然が豊かで、山あり川あり緑豊かな平原があり、四方を海に囲まれ、長い歴史があり、人情味あふれる文化があり、我が国固有の習慣があり、仕来りがあり、季節に従った行事があり、数え上げたら限の無い沢山の誇りが持てる素晴らしい国です。
 しかし、現代は国際化とかグローバル化とか、何だか分けの解らぬ、洋風な考えや仕来りが一種の憧れや自慢顔で、日本国のそれらを否定されつつあるような気がします。
 もう一度この国を見つめ直し、我が国にしかない良い物を大切に、学び育てて行きたいものですね。これが、私が言う『祖国愛』であり『愛国心』です。
 私は国民の祝祭日には、玄関に日の丸を掲揚しています。先日、お正月に玄関に日の丸を掲揚していたら、通りがかりの人が、指差して何かを話し合い、カメラで我が家の玄関を映していきました。何を思って映して行ったのかその真偽は分かりませんが、上記の意味での愛国心から、そして、日本人としての誇りの表現として日の丸を掲揚したいものですね。
 祖国を愛する心を育てたいものですね!

投稿者 femil928 : 12:23 | コメント (0)

2014年01月05日

ユートピア 『初めに』 1

 今、この私たちが生きている現代社会を省みると、何か日々不安を感じ、このまま成行きに任せて年月を重ねていくと、果して、どんな世界を子どもたちに残してあげられるのかと、子どもたちに申し訳ない気持ちになります。
 では、何を改善すべきなのかと考えてもあれもこれもと問題点が次から次と思い当り、一つの問題を改善するには二つも三つも沢山の柵が絡まり合い、二進も三進も進まなくなります。だからと言って何も改善しなければ、どんどん悪くなる一方で、その悪化は奈落の底に向かってどんどん落ちていきます。
 子どもたちに素敵な、希望の持てる未来を残してやるには、今、この時から問題意識を持って、一つひとつを正しく考え直していかなければなりません。皆さんも一緒に考えてみませんか!
 これから、そんな問題意識を持って、私なりに思いつくままに私の考えを、いや、思いつくままに、私の『ユートピア』を書き残したいと考えています。これからの私の文章を展開するにあたり、次の事をお許しください。
 先ずは、これから色々と書いていきますが、これ等の文章を書く資格が私にあるかと言われれば、何にもありません、しかし、だからと言って何もしなければ、間違いなくこの世は奈落の底に落ちてしまいます。私のこの文章で一人でもこの世の改革について考えていただけたら幸いです。
 次に、これからの文章、提言には現実の規則や法律や約束事と言う柵を考えると無理難題ばかりでしょうが、それらをクリアーしながら文章を進めるのは不可能に等しい事になります。それではこのままの流れが、高きから低きに流されるままに流れ落ちるだけです。憲法も法律も条令も大切な『規範』でしょうが、少なくともこれらの規範が緩み、誤解されているためにこの世の中が乱れている訳ですから、必要に応じて改善していかなければなりません。すべてを子どもたちの希望に満ちた夢のある社会を提供するためにとご理解いただき、私の提言を現代社会の『規範』に照らし合わせて「無理」と決めつけずに、考えるヒントの一つとしてお読みください。
 次回からは具体的な面から考えを書いていきたいと思います。

投稿者 femil928 : 19:54 | コメント (0)

ユートピア・『愛』1

 子どもたちの未来に希望と夢の持てる日本国に、いや、日本国よりももっと身近な私たちが住んでいる福島市が素敵なユートピアになったらいいなと願いつつ私の夢を広げてみたいと思います。
 この夢を描くには、第一に私がこんなことを書く資格が有るか無いかは別問題にしたい。それを質したら何も書くことが出来なくなります。どうかその点をお許しいただきたく且つお認め下さい。
 もう一点、これから私の考えを展開するにあたり、次の二点を心にとめて文章を書きたいと思います。それは、第一には、出来るだけ現実の批判を避けて、本来あるべき姿を提言したいと考えています。次には、現実の諸々の縛りを無視して考えを展開するのは無理でしょうが、それらの縛りを一つひとつクリアーしながら展開しようとすると、それだけで展開はできなくなりますので、それらの縛りは必要に応じて改善する方法を付記しながら展開していきたいと考えています。その点もご承諾ください。
 それでは素敵な日本国、生きる歓びを実感できる福島市を子どもたちに提供するために・・・・・

 初めに、『愛』を提言したい。
 
 私たちは『愛』の心を忘れてしまったと思います。例えば昔の多くの家々では祝祭日には玄関に日の丸の国旗を掲揚していました。私たちは日本国国民である埃を忘れてしまいました。「日の丸」イコール軍国主義とか右翼とか決めつけがちですが、そんな偏った決めつけた考え方はやめて、純粋に日本国の国旗は『日の丸』でありその国旗を掲揚することで日本国の国民としての『誇り』を純粋に胸に抱く、それで良いのではないでしょうか。一人ひとりの心の拠り所、それが日本国であり、日の丸であり、福島市の市旗でありたいと願います。それが第一の『愛』です。

投稿者 femil928 : 08:54 | コメント (0)